「君たちはどう生きるか」眼前には矛盾ばかり、だからこそ、人は一人では生きられない。

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 昨日(平成30年1月8日)の読売新聞第5面の全面広告に目が止まりました。
 7日には土浦市の成人式に参列し、8日の新聞等は成人式特集が多かった成果もしれません。もしくは、あれた成人式の記事(2017年の事ですが)から、「道徳」について考えてしまったのかもしれません。
 
 漫画「君たちはどう生きるか」。
 漫画 羽賀翔一、原作 吉野源三郎です。
 原作が出版されたのは1937年。満州事変から6年。盧溝橋事件が起こり、日中戦争が始まった年。社会の閉塞(へいそく)感がますます強まっていく時期と言えます。
 その時の著作が、漫画とは言え、今ベストセラーに。
 池上彰、宮崎駿、糸井重里などそうそうたる著名人が、読むべき本として紹介しています。
 読者の感想には、このようにあったそうです。
 「君ではなく『君たち』であること。『こう生きるべき』という断定ではなく『どう生きるか』という問いかけであること。定期的に読み返し、自分のものにしたい。きっとこの本からはこの先ずっと大切にしたい生き方の指針が見つけられる」と。
 主人公は旧制中学に通う「コペル君」という少年。学校でのいじめ、貧富の差、上級生による下級生のリンチ、友達を裏切った後悔など、いろいろな経験を重ね、社会の諸相を垣間見ます。
 そして、これらの問題に対して、どのような態度で向き合えばいいのか。元・編集者で現在は失業中の叔父さんとの対話を通して、コペル君が思索を深め、成長していく姿を描いています。
 物語の冒頭、アパートの屋上から行き交う人々の姿を見ながら「分子みたいにちっぽけだ」と呟いたコペルくん。「目をこらしても見えないような遠くにいる人たちだって 世の中という大きな流れをつくっている一部なんだ もちろん近くにいる人たちも おじさんも僕も」。
 「人は一人として単体で生きているわけじゃない」というコペルくんの発見が本書全編に染みわたっています、それを、高い位置から俯瞰して眺めたことで発見したというところにおもしろさがあります。
 しかし、どんなに知識をたくわえても、物事の全体像や正しさを理解したつもりでも、失敗してしまうことはある。とんでもない過ちを犯すこともある。
 自分のとほうもない弱さに直面したとき、自分を救ってくれるのは、これまでと同じように俯瞰して物事を考える力であり、「抽象化することが生きる武器になる」。
 生きていくことはその連続であり、自分なりの武器をそなえてどう立ち向かっていくのか。君たちは、私たちは、どう生きていくのか。深く考えさせてくれる、そんな名著です。
 「主人公は中学2年生のコペルくんは、亡き父のかわりに導いてくれるおじさんと、日々の悩みや疑問を語り合 ううち、彼は人生の本質を見出していく。だが頭ではわかっていても、できないことがある。ある日、友達に対して犯してしまった裏切りは、それまで培ってきたはずの自分も、おじさんも裏切るものだった――。弱い自分に向き合 い、大人への一歩を踏み出していくコペルくんを通じ、生きていくことの本質を教えてくれる児童小説であり思想書だ」との書評もありました。

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 原作の吉野源三郎(1899~1981年)は、東京帝大哲学科出身。左翼運動に関係して治安維持法違反で投獄され、獄中生活を経て、編集者に。「少年のための倫理の本」として、自分の考えを一つの物語にして伝えようとしたという。少年向けにしたのは、自由な執筆が困難な社会情勢もあったようです。
 戦後は岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長を務めるなど、進歩的知識人として知られた方です。
 是非ともお読みください。