【50年】公明党の政治は、「中道」が座標軸

 公明新聞に、市川雄一党常任顧問のインビュー記事が掲載されました。
 結党50周年を迎えるにあたり、安全保障に対する基本理念や、50年間に積み上げた「中道」の理念が語られています。
 私は、襟を正して読ませて頂きました。
「中道」公明党は政治の座標軸
公明新聞:2014年8月14日(木)付
安保法制 歴史の審判に耐え得る判断
党常任顧問 市川雄一
安全保障法制の新しい政府見解と党の対応をどう見るか―。今回は公明党の安全保障政策をけん引してきた市川雄一・党常任顧問に聞きます。併せて結党50年(11月17日)の意義と「中道」の今日的意味をどう考えるかについて聞きました。
結党50年 「国民のため」の持続の中に党の輝かしい未来は築ける
―憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認するかどうかの集団的自衛権論議を巡る今回の党執行部の対応について評価をお聞きしたい。
市川 集団的自衛権をめぐる今回の執行部の判断は合格点だ。経緯はどうあれ、政治家(政治)が問われるべきは、結果責任だ。
国連憲章で各国の固有の権利として認められた集団的自衛権について、国連はその定義を書いていないという。そのためか、マスコミで語られていた集団的自衛権の定義が、必ずしも明確ではなかったように思う。
その定義については、「自国防衛説」と「他国防衛説」の両面があるとされ、今回、閣議決定した政府見解は、集団的自衛権の行使を自国防衛目的に限定した容認であり、憲法9条の自衛の措置以外の武力行使は不可との規範性は守られている。
「解釈改憲だ」との批判もあるが、前述したように合理的に説明のできる範囲内のものであり「解釈改憲ではない」(内閣法制局)と思う。その論理的な整合性からみて、歴史の審判にも十分に耐え得るものであると思う。
私は、PKO協力法制定の当事者としての野党時代の経験や細川政権の与党経験を踏まえ、冷戦後のめまぐるしく変化する国際情勢をみて、ある時期から、フルサイズの集団的自衛権の行使ではなく、限定の仕方の違いはあるにせよ、限定容認論を考えていた。
―公明党結党50年の意義をどう考えていますか。
市川 光陰矢の如しである。今年の11月17日は結党50年の日だ。結党の時、私は29歳。党の前身・公明政治連盟の機関紙・公明新聞(週刊)に在籍していた。
翌年に新聞日刊化を控え、編集「部」から「局」に組織が拡大された。編集局長は渡部一郎氏(後に衆議院議員)、私は局次長兼政治部長に就いていた。50年の歳月の流れは誠に感慨深いものがある。
政党(議員)は存続が目的ではない。国や国民のためになる政策の実現が目的だ。存続が自己目的化すれば、その存在意義を失う。だが、存続しなければ、自らが考える政策は実現できない。存続も重要だ。
公明党は「大衆とともに!」の立党精神を貫き、常に大衆(庶民)の側に立った政治の実現をめざしてきた。そういう意味で、50年の風雪に耐えた結党50年は重い。
その間、日中国交正常化への貢献や「福祉社会トータルプラン」の提言など福祉政策の充実、わが国の安全保障政策での国民的な合意形成への働きなど、大きな役割を果たしてきたと思う。
あえて付言すれば、政党は存続が目的ではない以上、結党50年はゴールではない。重要な節目の日である。が、通過点に過ぎない。結党の日を迎えた時、その瞬間に50年は過去になる。
議員一人一人は、地域や国、国民のために、これから何をやるか、何をやるべきかを考え続けねばなるまい。その考え続けたり、実行に移したりする持続の中にしか、輝かしい党の未来は築けない。
11月17日は「次の50年」をめざして、新しく出発する日であり、その自覚を強くする日であることを銘記せねばなるまい。
―公明党の掲げる「中道」の今日的な意味をどう考えていますか。
市川 私の理解では、「中道」とは、理念としては、生命、生活、生存を最大に尊重する人間主義。政治路線としては、日本の政治における座標軸の役割を果たすことをめざし、具体的には(1)政治的な左右への揺れや偏ぱを正し、政治の安定に寄与する(2)不毛の対決を避け、国民的な合意形成に貢献する(3)諸課題に対し、解決のための新しい政策提言を行う―の三つだと思う。
今回の集団的自衛権行使を限定的に容認するケースは、不毛な対立を避け、国民的合意形成に寄与し、政治の安定に貢献したと思う。
この三つの考え方は、今日的にも十分な意味を持ち、有効な政治路線だと思う。ただ、政治は生き物といわれ、変化の早い時代といわれる昨今では、10年とか20年の時間帯で、国際情勢の変化や時代の変わり目に起きてくる数々の難題に、党としてどう対応すべきかが絶えず問われることになると思う。
その点、そうした変化に対して、新しい中道のあり方を考える柔軟な発想や思考が求められることを忘れてはなるまい。