【告別の時】土浦市の医療充実に確かな事績。歴史に学び、新しい土浦市を創造していかなければならない。

 前土浦市長であった助川弘之氏の準市葬がしめやかに執り行われました。
 準市葬は、中川土浦市長が葬儀委員長を務め、橋本茨城県知事や国会議員、私を含む土浦市選出県議会議員など土浦市各種団体の皆さまが参列されました。
 故助川弘之氏の事績によれば、昭和31年東京慈恵会医科大学を卒業後、昭和36年に土浦市で産婦人科医院を開業、土浦市医師会の理事や会長を務められたそうです。
 そして、昭和62年に土浦市長に当選し、4期16年間土浦市長の席にありました。その間、医師として見識から土浦市の休日緊急診療と夜間緊急診療体制を作り上げ、土浦市の緊急医療への貢献は高い評価があります。また、かすみがうらマラソンを盲人マラソンと併催したことや、土浦駅前再開発が現在の土浦市の市民が見える形の実績であることは間違いありません。
 私自身は、氏が旭日小綬章を受賞された時にご挨拶したこと以上ではありませんが、氏が4期目の市長選での激戦が脳裏をよぎります。
 いずれにしてもご自身の医師というルーツから発想された行政手腕の中から現在の土浦市民が享受している数々の実績があると感じられます。故助川弘之氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 

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