新進党の解党を受けて「公明」が新出発してから20年。
昨年の民進党の解党?をしても、本当の政党政治を貫くことがいかに難しいかを思い知ります。まっとうな政治のリトマス試験紙は政党の不断の一貫した信念の戦いの中から生まれてくると信じてやみません。
公明党が公明党らしくあるためにも、チーム3000の連携は、固い団結の姿でなくてはならないと思います。そして、常に原点に返る当たり前の実践を忘れてはならないのです。
公明新聞のコラム「北斗七星」を読みながら感じたことです。
(北斗七星)
2018年01月18日
「伝統ある公明の代表に私が」と、浜四津敏子さんが重責を担ったのは、20年前のきょう。新進党の解党を受けて、「公明」が新出発したときだ。翌日の本紙「主張」は、「国民は現在、数合わせの結集や多数獲得のための党籍変更などに見られる政党の姿に、不信感を強めている」と指摘したが、昨今の野党の姿と重なる◆かつての政権党が、名前を変え、分裂し、以前の勢いは消えた。「政党名を簡単に変えないことが大事だ。例えて言えば、デパートはコロコロ名前を変えるだろうか」(竹中治堅・政策研究大学院大学教授=昨年11月8日付本紙)◆幾多の荒波にも、その名を守り抜き、「今や、公明党は数少ない老舗政党の一つとなっている」(同)◆同じ20年前の本紙元旦号で、藤井富雄・元公明代表が党名について語っている。「公明政治連盟結成以来、一貫して変わらぬ、わが党の存在理由を示してきました。公平で明るい社会を築くということです」◆この誇り高き「公明」の名が守られたのは、庶民の血と汗で築かれた党組織があればこそ。「堅固な組織がある政党には、政策の一貫性があるし、熟議もある。何よりも苦しい時に支えてくれる地方組織がある」(中北浩爾・一橋大学大学院教授=昨年10月30日付本紙)。いよいよ堅固な「公明」の組織をつくる1年にしたい。(三)