昨日、父八島八郎の告別式を無事に終えました。
まずもって、通夜・告別式にご参列賜った皆さま、また実家などにご弔問賜った皆さまに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
こんなにも多くの皆さまに見送って頂いたことさぞ父も喜んでいると思います。
父の葬儀についてプログに記載することにためらいがありますが、今はブログが私の活動や日常、更に思いや考え方の記録と発信になっていますので、ここでは私の喪主としての挨拶を、本当に個人的な内容ですが、そっと残したいと思います。
ご挨拶の原稿を書き始めると、思い出の引き出しを開け、そのセピア色を記憶をひも解くような作業になりました。何もかもが、私や兄弟の身体と心を紡いでいます。
通夜式は原稿を読みました。告別式は、それを踏まえて思いつくままにご挨拶とさせて頂きました。
その中で内容の多きな違いは、「父の強さ」への子どもながらの強い強い印象です。
かつて私が小学生のころ父は、よく疲れた太い両足の「ふくろはぎ」を揉ませました。その方法は、ふくろはぎに両足で乗って足踏みをしろと言うものです。私は、小学生とは言え僕が乗ったりしてお父ちゃんの足が折れたらどうしようと思っていつも躊躇していました。それでも父は、「早くしろ」と命令して、子供たちの思いはどこ吹く風のようです。
父は強かった。農家として強靭な体を持ち、誰よりも一生懸命働いて疲れていました。子供たちとも触れ合いも、こんな形であったと思い出されます。父と母が働いて、子供たちを食べさせました。自由にさせました。父から、何かをしなさいと言われたことはありませんでした。
その父が痩せていく、痛がっている姿は、幾つになっても子供の私は見たくないものでした。でも、痛さや苦しさと闘うという闘争は、生易しいものでなく、命懸けであることを最後に教えようとしていたのかもしれません。
さて、以下は喪主挨拶の原稿です。記録としてそっと掲載します。ブログを読んで下さる親しい皆さまへのご報告です。
・本日は、父八郎の通夜・告別式に際して、ご多用中にもかかわらず、ましてや連日の暑さの中をご参列賜りまして誠にありがとうございます。多くの友人を集めて賑やかなことが好きな父でした。これほど多くの方にお越しいただいたことを父も喜んでいると思われてなりません。
・7月31日午前11時5分、父はこの世に果すべく使命を終えて、八島八郎の人生に大団円を飾りました。その時、私は、議会の県外調査で立山におりました。急いで帰宅し、父の顔を見たのは午後4時過ぎとなりました。覚悟して仕事をしようと県外調査に臨みましたので悔いはありませんでしたが、父の最終局面に苦しみがないことを祈って駆けつけました。
・父は、本当に穏やかに静かに逝きました。亡くなった父の顔は、肌が白く、若返ったようでした。若々しく精悍な顔、笑みを浮かべた唇、頬も額も弾力を持ちながら柔らかく、私は、触れる手の感触に、生も死もなく、繋がっているような感覚を覚えました。父に、成仏の姿とその実相を教えてもらったと信じています
・父の亡くなった7月31日は、7月に2回目の満月の日でした。7月2日と、7月31日です。この満月を「ブルームーン」と言うそうです。約3年に1度のある希少な天文現象の日です。満月は、物事が達成される力に満ちる時、反対の新月はこれからの旅たちとも言われます。
・7月31日、父が自宅に帰り、少し時間がたった夕刻、私は、実家の前の蓮田の正面に浮かび上がる満月を見て、心から感動しました。月は、赤みを帯びて浮かんでおり、蓮田には、これほど蓮の花が咲くのだろうかと言うほどの数の蓮の花が白くポッカリと浮かんでいました。ハスの花が、静かに父を迎えに来ていました。そして、月は父のこの一生の満足の思いを乗せて空高く昇っていくように思えました。
・これは思い過ごしかもしれません。でも、父は、最後に父の生涯の総決算の姿を、誰もが一様に感動する「満月とハスの花」の悠久な景色で教えてくれたと考えています。
・父は、ハスの事を話すと止まりません。そのまま言葉にはしないももの、その中核には、一つは、「如蓮華在水」であり、もう一つは「因果具時」であったと思います。「泥中にあっても汚れることなく美しい花を咲かす」。批判されようともに、強い信心で創価学会池田名誉会長とともに、気高く生きていこうとしました。また、蓮に関わることは、「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」であり、生死不二の法門に深く関わっているという自覚であったように思います。
・父は、本当に時を選んで生死不二の彼岸を目指しました。蓮の植え込みが終り、蓮根農家は一時の余裕がある時です。そして、父の手がけた蓮が植え込みを終え、次の出荷に繋いだタイミングでもあります。自身のけじめと次への継承を見極めたのかもしれません。私は、父から家を継いでハス堀りをやれと言われたことがありません。これほどに極めた蓮根栽培の未来をどのように考えていたのかは聞かずじまいでした。
・本当に働いて働いた父です。父の働きがなければ子供たちは今の生活はありません。最後まで、現役で、父親が働いて家族を養うという姿勢を貫きました。本当にあり難いことです。
・本日は、本来であれば日曜日の夕刻で、皆さまはご自宅でごゆっくりされる時間にも関わらずご参列賜りましたこと心より感謝申し上げます。これからも、私たち遺族に対しまして、故人同様のご厚誼を賜りますことをお願い申し上げます。本日は、誠にありがとうございました。