【奥尻島20年】人間と自然、複合的に重層的に、生産性と可能性をもって「時」に適う展望の施策を。

 それは、20年前の7月12日。奥尻島は、北海道南西沖地震により、死者・行方不明者230名、津波による犠牲者198名の大災害に遭いました。
 奥尻町の被害総額は約664億円、投入された復興事業費は約764億円。別に義援金約190億円が寄せられたそうです。
 海岸線には、総延長約14キロの防潮堤が築かれ、漁港には海面からの高さが8メートルある人工地盤「望海橋(ぼうかいきょう)」が設けられた。津波の際に約2300人が避難できる規模の避難施設です。住民の高台移転も実現し、発生から5年後、町は「完全復興」を宣言した経過があります。
 そして、20年の年月は、地震前から4割近く減った人口、3千人を切る過疎の島になりました。主産業の漁業も資源回復がなかなか進まず、高齢化や後継者難もあって漁協組合員は400人から半減。
 昨年、私八島と高崎県議は、春4月に奥尻島を訊ね、議会事務局の計らいで津波対策施設を視察しました。この時も、津波災害の風化対策や、施設の老朽化など、「時間」に対応できないもどかしさを感じてきました。
 いつ来るか分からない災害、しかし必ず来る災害。人間と自然は調和しているようで、いつしか人間が自然を凌駕したような錯覚を覚え、必ず自然のしっぺ返しに会うと思われてなりません。
 災害対策は、自然への挑戦ではありません。複合的に人間と自然を結び付け、且つ生産性や地域の可能性を複合的に重層的に計画されるべきだと思います。
 あらためて奥尻の20年に学ぶこと大と思います。
 027
 036
 039
 052
 
 055
 062
 066
 075
 089
 100
 122
 134