【そして父になる】「父になる瞬間」、血か時間を超えて、心通う家族があっても良い。

 先日、つかの間の時間ができましたので、映画「そして父になる」(是枝裕和監督)を夫婦で観て参りました。50才以上2人二千円は随分お得感がありますね。それでも何を観ようかとなれば結構悩みながら決めた次第です。
 さて、「そして父になる」への鑑賞前の期待は、「この微妙な立ち位置を理解できるか」と言うものです。「結論はないのではないか」を感じていたことから、「あまり悩む映画を観るのはどうだろう」と考えていました。
 この「父性」と言うテーマの映画は、夫婦で観るのは分が悪いと感じます。それは、母親より約10ケ月遅れての出会いはなかなか縮めることができないという事実のせいでしょう。そこで、映画は、「どこで父親であることを実感するのか」や「父親と子供をつなぐものは何か」を問い、「血」なのか、「時間」なのかと提示しているのです。
 「生みの親より、育ての親」、「成長とともに自分に似てくる子供」など、決して理想論や現実論だけではないものをしみじみ感じます。
 この映画のタイトル「そして父になる」をそのまま受け止めることが大切だと感じます。言い換えれば、福山雅治演じる良多が、「父親になる瞬間」をしてエンドロールになっていると思います。
 加えて、フランスから学んだ日本の民法の「親族」は、血族姻族を中心軸に構成されていますが、現実の日本では家族制度の崩壊現象を垣間見ます。出生もそうですし、認知症等による高齢にそうでしょう。
 血族姻族を軸になることを踏まえながらも、社会全体で「人間を人間らしく、守り、育て、生き抜いていく」ことを模索しなければならないのではないでしょうか。この社会は、地域のことを言いますから、身近な他人の包摂を大切にしたいと考えます。
 

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