半年を掛けて履修していた東京大学市民後見人養成講座が、今日最終講義を迎えました。
超高齢社会が確実に到来し、残念ながら全国民が健康で活事理の弁識を確かに生涯を全うできるとは限りません。認知症にせよ、各種の障害にせよ、私たちが人間らしく生き抜くためには、家族をはじめ第三者や地域の支えあいが必要です。
成年後見は、財産管理と身上監護をしっかりとした研修を受けた常識のある方や必要に応じて弁護士など専門職が担当すべき人権保護の政策です。超高齢社会を展望すれば市井の市民の中から広く人材が育っていかなくてはならないと思います。
さて、最終講義の中から私が感じたことを記載したいと思います。
①これからの成年後見制は、任意後見から出発し法定後見に向うべきです。更に、後見三類型のなかでも最も身近である「補助」を広く活用していくべきです。自己決定や意思決定について、本人の事理弁識が相応の水準の時からしっかり本人と後見人が理解しあいその後に備えていかなくてはなりません。
②任意後見における事故防止対策が重要です。親族後見にまれに起こる搾取や利益相反の理解強化を徹底しないといけません。現在の家庭裁判所は、不祥事を恐れて市民後見に腰が引けています。しかし、まもなくそう言っていられない件数が家裁に持ち込まれるのです。後見態様のケーススタディを集積して分析し、一定のマニュアルを作りながら個別の対応ができることが大事です。
③成年後見制の所管官庁は法務省ですが、現場実態は厚労省マターです。「意思決定能力を欠くことが称されなければ意思決定できる能力がある」等の法務の精神を堅持しつつ、法の発現する現場である福祉の世界に本当の協調態勢を作る必要があります。
④市民後見をしようとする者は、家裁の信頼を得る努力を惜しまないことです。「規定」「後見事務推進態勢」「不正防止体制」「再生的基盤」「保険」についてNPOとしてしっかり整備する必要があります。
⑤親族後見がかつて95%あったものの建材は48.5%に低下しています。日本の家族制度が崩壊しているようにも思えます。あらためて日本の家族のあり方や各自の人生の終末観を考える機会を数多くつくる必要があります。
以上を感じました。
東京大学には、桜が咲き始めました。卒業の修士のガウンを羽織った卒業生が記念写真を撮影していました。すばらしい春がやってきます。