ブログも残るものかもしれませんので、時々の時代を映す話題も載せたいと思います。
今夜、菅直人氏を首班とする民主党と国民新党の連立内閣が発足しました。
菅首相は、第94代、61人目の首相だそうです。菅首相は、就任会見で、「政治の役割は、『最小不幸の社会』をつくること」と述べたそうです。
これは、遅く自宅に戻った私が、携帯サイトで見た短文ですから、前後詳細は不明で理解不足を前提にして、こう思いました。
「最小不幸の社会」って何に????。どうも理解できません。
不幸をどこまでも減らしたいということでしょうか。それでも、不幸の存在を認めてしまう。究極には、差別感があるのではないか。
政治が国民の幸福実現や幸福実感の醸成にあることは当然と思います。でも、反意語で表現すると、どうでしょうか。文は、意を尽くせずですから、私も書きにくいのですが、どうにも解せない言葉に思えます。
前任の鳩山首相が、「国民が聞く耳を持たなくなった」に通ずる、責任転嫁のクサミを感じます。
私たちは、一国のリーダーに、あなたの不幸は菅内閣では救えないと言われたくないのです。
論を飛躍させれば、労働組合も市民運動も、時としてエリートを作り出し、上から目線になりがちではないでしょうか。
不幸を認めるから、幸福があるという対立的な論理の中に政治の信念はないと思われます。技術の上で発展途上はあるでしょう。でも、これだけV字回復の支持率を持つリーダーが、突き詰めれば「権力志向」で、オレの言う事を聞けとばかりに、人間の幸不幸まで事業仕分けする心算であるとすれば、権力の横暴であり乱用です。
少し言いすぎですが、情報不足の中で、すこしカチンと来たことから、筆の趣くままに記載しました。
是非、ご意見をお寄せ下さい。