【丸山真男講演】政治的リアリズムで自衛権を考える。時代的背景は感情論を超えて、外交的政治的交渉の高度化を求めている。

 弁護士でもある国重とおる公明党衆議院議員のブログから転載しようとするものです。
 国重衆議院議員が、政治学者・思想史家である丸山真男氏の講演録から抜粋したものです。
 抜粋は、思考法の問題として、「そもそも独立国である以上軍備を持つのは当然」との抽象論一般論に対して、政治的リアリズムはどう思考するかという事です。
 これらは、集団的自衛権が安倍総理の観念性や情緒性からもし成り立っているとすれば、いかなる事例も真に具体的なのだろうかという事ですし、ありうる現実をどのように考えるかをリアリズムで捉えたいと思うのです。
 その意味で、国重議員の丸山真男氏の講演抜粋は示唆的です。そして、私自身の論理性を試されるものです。
 丸山眞男氏の講演録(1958年)を読む。以下抜粋。
 たとえば、再軍備問題についても(ここで言っているのは、やはり実質的な再軍備是非の問題ではなく、思考法の問題として取り上げているのです)、「そもそも独立国である以上は軍備をもつのは当然である」という議論があります。これは抽象的・一般的命題です。
 これに対して政治的リアリズムに立った思考法というものは、現在国内、あるいは世界の状況の中で、日本が再軍備の方向をすすめることはどういう意味をもつかという、そういう問題の立て方をいたします。
 共産主義はしょっちゅう侵略を考えているからわれわれは軍備をもつのは当然である、というふうに、保守陣営は申しますが、果して現実に今日、中ソが日本に侵略してくるかこないかということはそもそも神様以外の者は知るよしもない。神様でない以上、絶対に侵略してこないということも、逆に必ずやってくるということもいえない。ですから、こういう絶対命題としてではなく、これを政治的リアリズム(認識)の問題にふりかえていうと、こういうことになります。
 つまり、現在の状況が続くかぎり、中ソが日本に侵略してくるという事態を仮定すれば、世界戦争を予想しないで不可能であります。つまり、中ソが日本に侵略して、他の世界の国々は平穏無事で、ただ日本への侵略を黙って見ているということは考えられない。
 そこで問題はこういうことになるのです。現在の状況で中国とソ連は世界戦争を賭して日本に侵略してくるだろうか。こういう実際の可能性の問題になるわけであります。(中略)
 これに対して、ああいう中国やソ連のような大きな国が隣りにあって、膨大な軍備をもっている。それなのに日本は無防備ではいかにも心細いというのは、日本と中国とを世界の具体的状況から切り離して、抽象的に考えるか、あるいは何となく心細いという心理的気分に基づく判断です。こういうのは政治的なリアリズムに立った判断とはいえません。
 ところが皮肉なことに今日では、再軍備反対論者にたいして、「道徳的には日本は無防備でもいいという考えも成り立つだろう。しかし現実の問題として考えれば、再軍備は必要である」という言い方が通用し、それがあたかも政治的なリアリズムに立った唯一の考え方であるかのように言われます。
 ですから、必ずしもそういう結論が出てくるとはかぎらないという例として今のようなことを申し上げたわけであります。