【集団的自衛権】ここまでは可能だ、これ以上は憲法改正しかない。そして、日本を守り抜く。

 読売新聞6月28日、与党自民党と公明党の集団的自衛権に係る協議を踏まえて、「高く評価したい」との社説を掲載しました。
 その内容は、集団的自衛権の解釈において「適正化」が図れたというものです。
 72年当時の世界の安全保障体制は東西冷戦、現在の安全保障は劇的に変化し、米ソの対立という二極化ではなく、テロの勃発、中国の台頭、アメリカの軍事的位置の変化などが指摘できます。
 この世界の安全保障の潮流は、個別的自衛権のあり方を見直す時に、限りなくいわゆる集団的自衛権に近づき、私たちが個別的自衛権と解するものが国際法等にとって集団的自衛権に当たる可能性をもたらしてきました。
 しこうして、今こそ自衛権のあり方を再精査し、あらためて日本を守り日本国民を守る術を検討する必要に迫られたと言えると思います。そして、何よりも憲法9条の規範性を損なうことなく、解釈の適正化を図る必要を理解したいと思います。
 以下は、読売新聞の社説です。ご参考までに。
 集団的自衛権 解釈「適正化」が導く自公合意
 自民、公明両党が粘り強く協議を重ね、日本の安全保障にとって画期的な意義を持つ合意をまとめ上げつつあることを、高く評価したい。
 政府が、集団的自衛権行使を限定的に容認する新たな憲法解釈の概要案を与党に示した。行使容認に慎重だった公明党から異論は出ず、与党は大筋で了承した。新たな解釈は、7月1日に閣議決定される見通しだ。
 概要案は、「我が国と密接な関係にある他国」が攻撃され、日本国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある」場合、必要最小限度の実力を行使することが憲法上許容される、としている。
 政府・自民党が、公明党の主張する「歯止め」の表現も盛り込みながら、長年、憲法上はできないとしてきた集団的自衛権の行使を条件付きで容認したものだ。
 重要なのは、この憲法解釈の変更が日米同盟や国際協調を強化して、抑止力を高めることを目指していることだ。「戦争参加への道を開く」といった一部の極論は全くの的外れである。
 概要案が指摘するように、日本の安全保障環境は根本的に変容している。大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、国際テロの脅威などを踏まえれば、どの国も一国のみで平和を守ることはできない。
 日本が世界とアジアの安定に貢献し、同盟国の米国や友好国と緊密に連携することが、日本自身の平和と安全の確保につながる。集団的自衛権の行使は、そのための重要なカードである。
 多くの関係国が、日本の憲法解釈の変更を支持していることを軽視すべきではない。
 与党協議会の高村正彦座長は、新たな解釈について「解釈の適正化であって、解釈改憲ではない」と強調している。
 確かに、新解釈は1972年の政府見解の根幹部分を踏襲し、必要最小限度に限定した集団的自衛権の行使しか認めていない。
 従来の見解とも一定の整合性を維持した合理的な範囲内の解釈変更であり、「本来は憲法改正すべきなのに、解釈変更ですませた」「立憲主義に反する」といった批判は当たるまい。
 概要案は、集団的自衛権を行使する場合は、民主的統制の観点から、原則として「国会の事前承認」が必要と明記している。
 妥当な内容だ。政府は閣議決定後には、国会の閉会中審査などを通じて、新憲法解釈の意義や内容を丁寧に説明し、国民の理解を広げることが求められる。