6月27日の公明党山口代表の講演は、新聞紙上を賑わす、公明党への悪しき言いざまに対して、公明党がいかなる考え方で日本の平和を守り抜こうとしているかが分かります。
1972年の見解を再精査し、現在の安全保障環境を洞察し、同時に武力行使の明確な歯止めをかけようとするものです。これは、大変に難しい信念の取り組みです。
個別的自衛権すら認めない政党、党内がまとまることがない政党、集団的自衛権そのままを目指す政党の中にあって、公明党のギリギリの選択があると確信します。
以下の、山口代表の講演要旨をじっくりとお読みください。
公明党の山口那津男代表が27日、和歌山市内で開かれた党和歌山県本部の時局講演会で発言した内容の要旨は次の通り。
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政府が自衛権をめぐる考え方をきちんと決めたのは、内閣法制局が1972年に示した見解だ。憲法9条は一切の軍備を否定しているように見えるが、前文には国民が平和的に生存する権利、13条には生命、自由、幸福追求の権利が書かれ、それを国政上、尊重する義務が政府にはあり、その国民の権利を根底から覆すような攻撃を排除するための必要最小限の実力なら認められるとしている。
その上で、自国を守るために武力を使う個別的自衛権の行使は認められるものの、自国が襲われていなくても他国を助けるために武力を使う集団的自衛権の行使は憲法上許されないという方針を示した。
昨年の参院選で、私は集団的自衛権を認めるかと聞かれ、「断固反対」と述べた。専守防衛のために自衛隊があるのだから、いくら関係が深いといっても、米国と一緒に海外に行って他国と戦うことを含む集団的自衛権を丸ごと認めるのは断固反対だという趣旨だ。
安倍首相もそのことはよく分かっていたのだろう。5月15日に、首相の私的諮問機関の報告書が出て、これから政府や与党で議論を始めようというときに方針を出した。そこでは、自衛のために武力を使うことは、個別的であれ集団的であれ、国際法上禁じられていないから集団的自衛権の行使を認めるべきとする考え方について、政府が長年とってきた考え方と論理的整合性がないから「採用しない」とした。
集団的自衛権は丸ごと認めないということだ。しかし、日本の安全に重大な影響を与えるような場合は限定的に認める余地があるのではないかとして、政府も検討し、与党にも議論してもらおうという問題提起をした。
さらに、今置かれている日本の安全保障の環境を考え、国民を守るために隙間のない法制を作るために与党として議論し、その結果に基づいて改正すべき法制の基本的方向性を閣議決定していくとした。
これを受けて、与党協議が始まった。日本を取り巻く安全保障環境は、パワーバランスの変化や近隣国のミサイル開発など、72年当時と比べると大きな変化がある。そうした中で、日本を守るために活動している米国の船などが攻撃を受けた時に、それを放っておくと、国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される状況が起きてしまいそうな場合には武力を使うことを認めて、それを防がなければならない。
そこが72年以来、日本政府が保ってきた憲法の変えてはならない柱であると考えている。だから、従来言われてきた個別だ集団だという区別とは少し違うが、限りなく個別的自衛権に近いもの、それに匹敵するものに限って日本を守るために必要不可欠なものであれば、行使を認めてもいいのではないかという議論をしている。
公明党は、そうした武力行使が将来拡大しないよう、歯止めとなるような工夫をしている。武力行使は日本を守るために限るということは、憲法の柱だから、今後簡単に変えられないようにしなければならない。それ以上の変更には正面から憲法改正の手続きをとらなければならないという見解をはっきりさせていくことが大事だ。
今、与党で結論を出そうとしている方向は、憲法が柱としてきた本筋はいささかも曲げることなく、時代の変化に応じた備えのあり方について、これからも長く保っていくべきものになっている。また、安全保障上の備えとともに、対話や交流を重ねて信頼関係を築き、平和で安定した地域をめざしていく外交活動が極めて重要だ。
そして、長年訴えてきた専守防衛、軍事大国にならない、非核三原則を守り抜くといった平和主義の柱はこれからも維持していくことを約束したい。今、日本の政党の中で、安全保障の問題について、きちんと国民に訴え、悩み、批判や声に応えながら取り組んでいる政党はいったいどこにあるか。反対するだけでは、国民の本当の期待に応えられない。
日本の置かれた現状を直視して、国民の心配も真正面から受け止めながら、どう憲法の柱を守り、歯止めをかけるか。これを現実に行う公明党の平和の党としての役割は重要だ。