「共生型福祉施設」のモデルを追う
障がいに関係なく多世代が交流
「在宅」望む人すべて受け入れ
皆が元気になるデイサービス
「誰も排除しない」貫く
10月初旬、参院本会議で公明党の山口那津男代表、参院予算委員会で荒木清寛氏が、少子高齢社会における有益な地域拠点として「共生型福祉施設」の拡充をそれぞれ訴えた。
そのモデルになっているのが富山県内に広がる民間主導のデイサービス。年齢や障がいの有無に関係なく、家族的な雰囲気の中で共に過ごす取り組みは、これからのまちづくりを考える上でも示唆に富んでいる。
『小規模・多機能』
「本当は家に帰りたい。でも老人病院に入ることになった」。人生の最期を前にその高齢女性は在宅ケアを願って泣いたが、何もなすすべはなかった。富山市内の病院で20年余、看護師を務めていた惣万佳代子さん(63)が1993年7月、同県内で初の民間デイサービス「このゆびとーまれ」を開くきっかけになったのが、この出来事だった。
平日の午前中。同市富岡町にある「このゆびとーまれ」に入ると、明るい室内から楽しげな話し声が聞こえてくる。車イスの高齢者と和やかに話す青年、知的障がいのある人は穏やかに高齢者の世話をしている。ワイワイ言いながら切り絵作りに精を出す老若男女。キッチンではスタッフが昼食作りに忙しい。午後になれば学校帰りの子どもたちもやって来て、一層にぎやかになる。
2004年には市内茶屋町にデイサービスのほか障がい者を受け入れるショートステイ、認知症対応型グループホームの機能を備えた施設なども立ち上げた。
開設から20年余りが経過したが、「在宅を望む人を支えたい。誰も排除しない」(惣万さん)との理念は不変だ。面倒な手続きはなし。家庭的な雰囲気を大切にして高齢者から赤ちゃんまで、障がいのある人もない人も、すべての人を受け入れる。「地域密着・小規模・多機能」重視の発想こそ、後に「富山型」デイサービスとして広がっていく原型になっている。
『「縦割り」のカベ』
とはいえ、自身の描いた事業が当初、縦割り行政のカベにぶつかったことは言うまでもない。「誰でも利用できる施設をやりたい。何か補助金は出ませんか」と役所に問い合わせてみたが、「どの法律にも当てはまらない。出せるお金は1円もない」とのつれない返事。理念を曲げる考えはなかった惣万さんは自主事業でスタートさせる。初年度、1日の平均利用者は1・8人。寄付で乗り越えたが大赤字になってしまった。
だが、既存制度で救われない在宅での支援を望むニーズを裏付けるように年々、利用者は増加。さらに、「このゆびとーまれ」の利用者からは変化が見て取れるようになる。
認知症の高齢者が子どもと触れ合うことで症状の進行が緩やかになる。知的障がいの青年が自分の意思で高齢者や子どもたちの世話を買って出る。高齢者や障がい者と日常的に接する中で子どもが他人を思いやれるようになる――。これらの“共生効果”は、やがて行政にも伝わり、民間主導の取り組みが県、国を動かしていく。
富山県は96年以降、全国に先駆け、在宅の障がい者(児)を独自に支援する事業に相次ぎ着手。03年、国は高齢者や身体障がい者を対象とする介護保険指定施設で、知的障がい者(児)も利用できる富山型デイサービス推進特区を認定。その成果を踏まえ、06年には全国適用が始まった。さらに同年、国は小規模多機能型居宅介護事業所である介護保険指定施設を障がい者(児)も利用できる富山型福祉サービス推進特区として認定。同県内での成果を受け、13年までに通所(生活介護)と宿泊(短期入所)サービス、児童発達支援、放課後等デイサービスが順次、全国で実施できるようになった。
『担い手不足』
ホームヘルパーだった山田和子さん(65)は「住み慣れた場所で、いつでも支援が受けられる“宅老所”」として、グループホームをはじめ小規模で認知症や障がい者(児)などを幅広く受け入れる「しおんの家」を富山市内で手掛ける。意義ある取り組みも担い手不足が課題で、そのためには介護報酬引き上げが不可欠と訴える。担い手の問題は、各施設が抱える共通テーマだ。
富山型デイは8月末現在、県内全市町村111カ所に広がっている。県は地域に根差した拠点にしようと21年度までに県内200カ所、小学校区に1カ所の設置を掲げ、市町村と共同で独自の施設整備事業を設け後押しする。
県厚生企画課の調べでは、全国でも1400カ所以上整備されている富山型デイ。惣万さんら富山の先達が講師を務める県主催の起業家育成講座には、わが地域で困っている人を支えたいと、うわさを聞き付けた受講生が全国から集まってきている。