【県民の日】常陸風土記の歴史から廃藩置県と府県統合の歴史をも、振り返って歴史を知ろう。

 茨城県民の日の勘違いが話題になっています。
 要は、初代県知事にあたる山岡鉄舟の任命日11月13日と、法令全書の設置日11月14日の相違です。
 この話題を見ながら県のホームページを改めて見ました。
 茨城県創生の歴史を振り返る機会になった事は喜ばしいかな。どうかしら。
 

「県民の日」は、郷土の歴史を知り、自治の意識を高め、私たちのより豊かな生活と県の躍進を願う日です。
明治4年(1871年)に行われた府県の統廃合で、11月13日に初めて「茨城県」という県名が用いられたことにちなみ、明治元年から100年目にあたることを記念して昭和43年(1968年)に「県民の日を定める条例」により定められました。
茨城県の県名の由来
約1,300年前に書かれた「常陸国風土記」の中に、「朝廷から派遣された黒坂(くろさかの)命(みこと)が、朝廷に従わない豪族を「茨(いばら)」で城を築いて、または、そのすみかを「茨」でふさいで滅ぼした、そのことから、この地方を茨城(いばらき)と呼ぶようになった」とあります。
茨城県民の歌
茨城県民なら、誰もが一度は歌ったことがある「茨城県民の歌」は、一般公募によって集まった作詞447編、作曲101編の中から選ばれたものです。「郷土の自然や,輝く歴史と伝統を讃え、躍進する茨城の理想の姿を一編の詩に託した」この歌は、1963年3月16日、茨城会館で発表されました(主催:茨城県、茨城県教育委員会)。以来、県民に広く愛され親しまれ、歌い続けられています。
茨城県民の日、一日ズレてた? 由来誤り、県外から指摘
朝日新聞デジタル 4月8日(水)
 茨城県が30年以上、「県民の日」(11月13日)の由来を誤って説明していたことがわかった。1871(明治4)年の廃藩置県で「茨城県が設置された日」としてきたが、県の誕生は実はその翌日。今春の県立高校入試で問題文に使われ、外部の指摘を受けた。
 11月13日は、1968年制定の茨城県条例で県民の日となった。県も指摘を受けるまで、ウェブサイトで「県域に『茨城県』が置かれ、初めて県名が用いられた日」と説明。だが「法令全書」(内閣官報局編)などによると、茨城県の設置は11月14日。前日の13日は、初代県知事にあたる茨城県参事として山岡鉄舟(てっしゅう)が任命された日だった。
 県によると、制定当初は「茨城県という名称が初めて用いられた日」と広く解釈していた。いつから混同が始まったかは不明だが、少なくとも84年発行の県史に「県が誕生した」との記述があり、誤った説明は30年以上続いたとみられる。
 今年3月の県立高校入試で、明治時代の出来事を年代順に並べる社会の問題文に「11月13日に、現在の茨城県の範囲は新治(にいはり)県、印旛(いんば)県、茨城県の三つの県に統合された」との記述があった。これを見た福岡市の塾講師金子直樹さん(40)がミスを指摘した。ただ、受験生が学んだ内容と食い違いがないなどとして、採点はやり直さないという。県教委によると、県内の公立小学校の副読本も県の誕生を「11月13日」としており、中学校でも同様に教えている可能性が高いという。(酒本友紀子、村田悟)
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朝日新聞社