【茨城国体】スポーツの素晴らしさを伝え、心身共に健康な県民の裾野の代表の真剣勝負を応援したい。

 今朝のしんぶん各紙は、パラリンピックに3大会連続出場した佐藤真海さんが第一子となる長男を出産されたと伝えました。
 佐藤真海さんと言えば、一昨年の東京オリンピック招致活動の最終プレゼンに最初に登壇して、スポーツの素晴らしさを世界中に訴えたことで有名です。
 ご出産の報に接して、今一度招致委員会でのスピーチを読みました。
 それは、「私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」と、スポーツにより学んだ楽観主義の爽やかさではないでしょうか。
 茨城国体が近づいてきます。
 茨城国体の素晴らしさを伝えなければなりません。国体競技も競技である以上、選ばれた者たちの代表選手型のイベントになりがちです。でも、スポーツを楽しむ年齢や所属を問わない裾野があればこそ強いアスリートが生まれると思います。
 是非ともスポーツの素晴らしさを訴え、茨城国体の意義を広く県民に伝える努力が必要だと思います。
 以下は、参考までに佐藤真海さんのスピーチ日本語訳の全文です。
 そうそう、この時は 「お・も・て・な・し」も世界語になりました。これも茨城県の取り組むテーマです。
2020年五輪東京招致委の最終プレゼンテーション
【パラリンピック女子走り幅跳び代表・佐藤真海】 
 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。
 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。本日は、そのグローバルなビジョンについてご説明いたします。 
 19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました。もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。
 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。
 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。
 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。
しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。
 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。
 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています。
 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。