7月8日の衆議院平和安全法制特別委員会の公明党北側一雄副代表の質問と政府答弁は、改めて本法制の意義をめいかくにしています。
以下は、公明新聞の記事から、平和安全法制について学びたいと思います。
衆院平和安全特委/北側副代表の質疑(要旨)
2015年07月09日
8日の衆院平和安全法制特別委員会で行われた公明党の北側一雄副代表の質問と、政府側の答弁の要旨は以下の通り。
『国際法上、個別的自衛権での対処だけでは限界』
北側一雄副代表
なぜ今、法制整備なのか。わが国をめぐる安全保障環境が厳しさを増す中で、わが国防衛のためには、日米防衛協力体制の信頼性、実効性を向上させて、紛争を未然に防止していく。抑止力を向上させる。これしかないということで法制整備をしている。ここに大きな目的がある。
安全保障環境の変化の一番の大きな要因は、軍事技術の著しい高度化ではないかと考えている。特に北朝鮮の弾道ミサイルの能力が大きく向上しているといわれている。どれだけ向上しているのか。
中谷元防衛相
北朝鮮の弾道ミサイル関連技術は飛躍的に向上している。弾道ミサイルの増強や核兵器開発の進行は挑発的な言動と相まって、わが国の安全に対する重大かつ差し迫った脅威となっている。
北側
北朝鮮の弾道ミサイル技術の進展に対してどのような対処をしているのか。
中谷防衛相
平素から米国の早期警戒情報をはじめとする必要な情報共有を行っている。日米の協力強化とわが国の弾道ミサイル防衛システムが相まって、ミサイルの脅威への対処力、抑止力を高めているところである。
北側
北朝鮮の弾道ミサイルに対する対応ということを考えると、これは、日米共同対処でないとできない。現実には日本だけではできない。
例えば、わが国防衛のため、公海上で、まさしく警戒監視活動をしている米艦船に対して、外部から武力攻撃があった場合、これを排除する必要性があるのかないのか。
中谷防衛相
弾道ミサイルの脅威に対しては、日米協力の強化とわが国の弾道ミサイル防衛システム、これによって、ミサイルの脅威への抑止力、対処力を高めている。このため、米国の艦船が攻撃を受けた場合に、弾道ミサイルへの日米共同対処の実効性を損なうことが明らかになるため、これを排除する必要があると考えている。
北側
そもそも、公海上でわが国防衛のために活動しているアメリカの船に対して武力攻撃があった場合、一般的に、わが国に対する武力攻撃の着手といえるのか。
横畠裕介内閣法制局長官
法理上は、まさに状況によっては、わが国に対する武力攻撃の着手と認定できる場合もあり得る、否定されない。
しかし、実際上は、現実に発生した事態の個別、具体的な状況に即して判断することが必要であり、一般的に、そのようなケースがわが国に対する武力攻撃の着手に当たるということはできないと考えている。
北側
このような場合を、一般的に個別的自衛権で対処するといった場合に国際法上どういう問題点が出てくるのか。
岸田文雄外相
国際法上、個別的自衛権と集団的自衛権は、自国に対して発生した武力攻撃に対処するものであるかどうか、この点において、明確に区別されている。
本来、国連憲章51条で認められている集団的自衛権で対処すべき事態において、個別的自衛権の概念を、わが国独自の解釈をして対処するとしたならば、わが国に対する武力攻撃が発生していない段階で武力行使を行うことになりかねず、結果として国際法に違反する恐れが生じると考える。
そもそも国連憲章が51条において、武力攻撃が発生した場合に限り、個別的、集団的自衛権の行使を認めた理由の一つは、各国があいまいな基準によってこれを行使する可能性を排除する、こういったことであると認識している。
わが国が進んで、このような国連憲章の趣旨に反する個別的、集団的自衛権の乱用の恐れを惹起すべきではない。このように考えている。
『自国防衛でも集団的自衛権が根拠になる場合も』
北側
そもそも個別的自衛権とか、集団的自衛権というのは、日本の国内法にはどこにも言葉がない。国連憲章の2条4項は加盟国に対して、武力の行使、武力の威嚇を禁止した。ところが例外的に憲章51条でこの武力行使の違法性を阻却し、正当化していく。
51条には集団的自衛権、個別的自衛権、さらに集団安全保障と、これらを根拠にして「その武力行使は違法性を阻却されますよ」ということで個別的自衛権、集団的自衛権という概念がある。この二つの概念は日本の国内法にある規定ではなく、国際法上の概念だ。
憲法9条の下で、どこまで自衛の措置が許されるかという課題について個別的自衛権、集団的自衛権という概念そのものが直ちに基準になるわけではない。
横畠長官
個別的自衛権、集団的自衛権というものは国際法上の概念で、憲法においては、そもそも自衛権という言葉すら用いられていない。従前の自衛権発動の3要件においては昭和47年(1972年)の政府見解で示された外国の武力攻撃によって、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に当てはまる事態は、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという認識の下で、ちょうどこれに見合う国際法上の概念である個別的自衛権の行使が許されるというような言い方をしてきた。
北側
わが国防衛のため日本の近隣の公海上で警戒監視活動をしている米艦船への攻撃があった、まだわが国への直接の武力攻撃はない。これに対して対処する必要性が、まずあるのかないのか。私どもは、やはりここは対処しなければならない場面が多いと考えている。そうしないと、この国を守れない。国民を守れないと考える。
ではその対処をした場合に国際法上の違法性阻却はどう考えるか。やはりこれは国際法上は集団的自衛権の一部として、それを根拠として対処しないと違法性は阻却されない。
そこで憲法9条の下で許される自衛の措置としてどこまで許されるのだということを議論して昨年7月1日の閣議決定で新たな3要件というものを決めた。ただし、これは、あくまで自国防衛だ。ただ国際法上は集団的自衛権が根拠となるとわれわれは理解している。
その中で、最高裁の砂川判決が議論になっている。砂川判決で自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために自衛の措置をとれることは当然であるといっている。最高裁は違憲立法審査権を持つ唯一の機関だから、大変重い意味がある。それを踏まえた上でこの(判決の)射程はどこまであるのか。
まず1番目にはっきりいえることは、わが国に武力攻撃があった場合にはこれを排除する、いわゆる個別的自衛権は当然含まれる。
2番目にもっぱら他国防衛を目的とした国連憲章上のいわゆる集団的自衛権は含まれない。もっぱら他国防衛を目的としているわけだから、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするためといえない。
3番目に個別的自衛権と限定せずにこの砂川判決を読むと、判決の中に個別的自衛、集団的自衛という言葉を別の箇所で使っている。だから国連憲章51条をしっかり認識した上で砂川判決は書かれているが、個別的自衛権ともいわず、集団的自衛権ともいわず、「自国の平和と安全を維持し」といっている。
個別的自衛権と限定をせず、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするための自衛の措置といっているところからは集団的自衛権全てを排除しているとはいえないと思う。
その上で(最高裁は)自衛の措置の限界はどこにあるかについては、政府と国会の判断に委ねたと私は理解をしている。
横畠長官
(判決の)射程ということになるが、まさに判決文そのものには、個別的、集団的という区別が書いていないということで、それはどのように解するかということだが、ただ、同判決自身が論じているこの自衛権というものは、あくまでもわが国自身の防衛のための自衛権ということであって、わが国が他国を防衛するために武力を行使するという、いわゆる今でいう、他国防衛の権利としての集団的自衛権を念頭に判示をしているというところまではなかなか認めがたいだろう。
砂川判決の射程としては、国際法上の概念でいえば個別的自衛権のみならず、わが国が危機に瀕した場合の、今回新3要件で示しているような限定された集団的自衛権の行使というところまでは、その射程に入っているのではないかと考えている。
『憲法は自衛の措置認める』
北側
結局、最高裁は、どこが自衛の措置の限界なのかということについて、政府と国会に任せたわけだ。そこの議論に委ねたわけだ。一番の典型が昭和47年見解だ。
憲法9条を解釈する以上は、他の憲法規定から持ってくるしかない。そうすると、憲法13条に、国民の生命、自由、幸福追求の権利を「国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。
この13条からするならば、他国に対する武力攻撃であっても、それがもし、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるような急迫、不正の事態であるならば、そういう事態があるというならば、それを排除することについて、13条の規定から自衛の措置の限界として読めると考えた。
要するに認識としては、現在の安全保障環境から見れば、いまだわが国に対する武力攻撃に至っていない状況でも、他国に対する武力攻撃があり、これによってわが国の存立と国民の権利が根底から覆されることが今の安全保障環境の下ではあり得る。この認識をわれわれは共有をして、新3要件を定めたわけだ。
最後に、存立危機事態と武力攻撃事態等との関係について、重なり合うことがほとんどだと私は理解している。例外的に重ならない場合があるかもしれない。法制局長官の認識は。
横畠長官
憲法13条に照らして対処の必要があるだろうということで関連される存立危機事態というのは、まさに根っこにおいてわが国の存立、及びその国民の生命、自由及び幸福追求の権利を根底から覆すような事態に適切に対処するというのが国家の責務であるという根本において(武力攻撃事態等と)共通するものなので、相当部分、大部分と言っても良いかもしれないが、重なり合うことが想定される。
中谷防衛相
武力攻撃事態等と存立危機事態、これはそれぞれ異なる観点から状況評価をするものであって、相互に排他的でなく、他国に武力攻撃が発生した状況について、それぞれの観点から評価した結果、いずれの事態にも同時に該当することがあり、その場合、両事態が認定されるということだ。
現実の安全保障環境を踏まえれば、存立危機事態に該当するような状況は、同時に武力攻撃事態等にも該当することが多いと考えている。
北側
仮に、武力攻撃事態等と、存立危機事態が重ならない場合が例外的にあるとして、その場合に国会の関与はどうあるべきなのか。
そういう例外的な存立危機事態の場合には、国会の関与は当然のことながら事後ということはないのだろう。事前の国会関与を経ていくことになるだろうと私は理解をしている。このことについては、また改めて議論したい。