【責任】レスポンシビリティとアカウンタビリティ

 心がけてきたことの中に、「レスポンス」があります。素早い反応をしていこうとです。
 「レスポンス」は、その言葉の意味を、「反応」、「応答」、「返答」、「返信」、「回答」などに使われ、私たち詞、レスポンスが良い、もしくは悪いなどつ使っています。
 私が前職の銀行員時代にも、自身の心がけに、「レスポンス」と「フレキシブル」を挙げて、仲間に話をしていました。
 今、あらためて「レスポンス」が「レスポンシビリティ」に繋がると思うと、反応することが大きな責任を果すことに他ならないと感じ入ります。
 「レスポンシビリティ」は、「責任」です。そして、もう一つ「アカウンタビリティ」も責任です。
 今回は、この二つを考えています。
 決算特別委員会や常任委員会の質問を考えていながら、この二つの違いは何かと立ち止まってしまいました。
 かつて銀行の財務分析の講義で、企業会計を学び始めた頃、会計の役割について「レスポンシビリティ( responsibility )」と「アカウンタビリティ( accountability )」という言葉で教えを受けました。
 いずれの言葉も「責任」や「責務」と訳されますが、レスポンシビリティが一般的な責任の意味で使用されるのに対し、アカウンタビリティは説明責任の意味で使用するぞという事です。
 これは、もう少し分解する必要があります。この二つの責任は決して別々の概念ではありません。
一方の「責任」は、他人から依頼を受けた者はその依頼されたことに対して責任(レスポンシビリティ)を持ち、もう一方の「責任」は、その責任を果たす過程や結果について説明する責任(アカウンタビリティ)を負うというように密接に結びついているという事です。
 ましてや、隠す、誤魔化す、騙すという行為はアカウンタビリティとは相容れないものですが、形ばかりの説明もアカウンタビリティを果たしているとはいえません。
 また、おざなりの説明を聞かされて唖然とすることがありますが、それはアカウンタビリティの前提としての責任感(レスポンシビリティ)が欠如していることを意味します。
 アカウンタビリティを果たしたかどうかを判断するのは、あなたではなく、相手だという事です。この「相手」という概念が、ここ数年、高い壁のように立ちはだかるように感じる時もあります。「相手」の感じ方の中に、自分自身の行動を重ね合わせる努力が求められ、多くの方が難儀しているようにも思えます。
 ただ企業や行政は、これなの責任を果すことで、多くの方の信頼を勝ち取らなければならないのです。
 企業も、行政も、様々な情報を隠すことはできなくなっています。一方で、故人情報には不可侵の思い込みのようなものがあるのかもしれません。
 
 県の決算についても、どこまでオープンできるのか、予算規模が大きければ大きいほど、小さな金額にもしかり目配りしていかなければと思うのです。多くを捉えて、小さきを知らなければなりません。
 稲盛和夫氏の言葉があります。
 「ディスクロージャーとは、
 要するに真実をありのままに伝えるという、当たり前のことである。
 たとえ「良くない事態」が起きたとしても、勇気を持って社外に対し、
 ただちに明らかにすることによって、逆に会社に対する信頼は高まっていく。
 困難に遭遇したときは、真正面から立ち向かい、打開策を確実に実行していることを、
 正直に投資家に対して訴えればよいのである。
 このように自社のありのままの姿をつつみ隠さずオープンにするためには 
 利益よりも公正さを優先するという確固たる経営哲学が不可欠となる」
 これは私企業のそれですが、今後は企業会計を導入する行政もまた、すべてが「できた」ではなく、課題が見つかったという事もありではないかと思います。そして、県民にわかりやすいディスクローズが必要です。