歴史の連続

 今晩は、少し前の読売新聞の記事に学びたい。
 
 5月25日付コラム、政治部次長飯塚恵子氏のコラムを再読。沖縄の問題は、当事者である沖縄の県民が当事者であるにも拘わらず、その意思をないがしろにされた歴史の連続性にあるというものだ。
 
 「琉球処分」「太平洋戦争の沖縄地上戦」「戦後の占領政策」「復帰後の過大な基地負担」「本土との経済格差」。徹底した『負」の連続である。すべてが歴史の事実であり、真実である。 
 ここにある沖縄の複雑な心に、鳩山民主党は、どこまで迫れたのだろうか。
 歴史を知り、歴史に学ばずして、言葉を弄んだ結果はあまりに大きい。最も苦しんだ方々に学ばずして、何に学ぶというのか。民主の民を、民主党はどう考えているのだろうか。
 
 コラムは、リーダーの資質の一番に「ウソをつかない」をあげている。当たり前のことだ。今、横行する論理は、すり替えの論理ではないか。小鳩の「政治とカネ」は、菅総理の言葉では終わっても、国民の待望に応えたものではない。言葉から、行動へ。ウソがないとは、言葉を立証する行動を言うと思う。
 さて、以下は、おまけ。
DSCN0232昨夕(21日)の夕焼けです。満点の夕焼けでした。夕空を赤く染め上げた夕日は、太陽と雲の芸術と思われます。ひと時、振り仰ぐ空に、シャッターを押しました。
 
 
 さらに、追加して。
 昨日、お越しいただいた先輩にお孫さんが誕生した。本当に嬉しそう。携帯に写された写真が、眩しいくらいに愛らしい。本当におめでとうございます。
 さて、感心したのは3人お孫さんのお名前である。
 長男は「遥希(はるき)」ちゃん。次男は「大羽(ひろは)」ちゃん。長女は「虹心(にこ)」ちゃんである。
 少し読みにくいけれど、漢字のイメージが大きく膨らむ、大空を翔けるお名前で、両親の晴れ晴れとした心が分るようだ。
 ところで、私は、自身の名「功男」が、なぜ二字なのか。「功」の一字でも「いさお」だよ。男の子だから「男」にしたとしても「力」という文字が重なるのはなぜなのか。農家だから「田」の力を強調したのかなあ。ずっと疑問に思っている。そして、そのまま解決していない。という話である。
 今日は、ここまで。