【合併十周年】新たな10年に向け、飛躍の第一歩を。土浦市は一つ、市民協働で日本一住みやすい土浦を。

 土浦市合併10周年記念式典が、盛大に開催されました。
 土浦市は、平成18年2月20日に新治村を編入合併し、新土浦市としてスタートしました。
 市町村合併は、国の地方分権一括法の推進の中で、地方自治を推進し、適切な規模で基礎自治体をして住民サービスの向上を図ろうとするものです。
 土浦市と近隣町村の合併論議は、当初に土浦市と新治村、更に千代田町と出島村の4自治体を模索したこともありましたが、紆余曲折や非難中傷も飛び出すなど思うに任せずに、結果として土浦市と新治村の政治的にも経済的にも密接な関係が合併を決断させました。
 私は、その縁談とご苦労に深く感謝したいと思います。そして、現在の土浦市が、合併特例債事業をほぼ終了する時に10周年を迎える事に不思議な思いもあります。
 さて、式典では県議会議員として挨拶する機会をえました。大要次の通りのお話しをしてお祝いにしました。
 土浦市合併十周年記念式典にお招き頂きありがとうございます。
 土浦市と新治村が、10年前、実際はそれ以上の年月をかけて、市民・村民の要望や意見、を受け、時に批判などを乗り越えて、合併の英断し、実現されましたことに、心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。
 合併協議会の記録によれば、中川市長が3町村長に合併協議を働きかけたのは平成15年11月26日とされています。もちろん、それ以前のネゴシエイトはあった事でしょう。そして、第1回は平成16年5月28日とされています。
 合併協議会のメンバーを拝見すると土浦市・新治村をリードされた大先輩とともに現在土浦市役所を担う皆さまも名を連ねており、これらの皆さまは、土浦市の重要な歴史の現場に立ち会われたからこそ、現在の活躍があると心打たれました。それは、歴史を知るということです。
 合併協議では、アンケートが重視されました。何よりも土浦市民・新治村民がこの合併を為し得たのではないかと拝察いたします。市民協働のさきがけです。
 第一回合併協で、中川市長は「市町村合併は時代の要請」「変革する社会システムに的確に対応できる行政システムを整備する」と。
 完賀新治村長は、新治村と土浦市の縁について話され、「両市民が乗船し、未来と言う大航海へ船出するための、大切な船を造る場」として、「将来生まれ来る子供たちに、明るい未来を残すことがわれわれの務め」と話されました。
 そして、10年を経て、土浦市は合併特例債事業のまもなくの完了を果そうとしています。それでは次の10年をどうするのか。
 私たちは、また新しい10年を目指して参りたい。地方創生とは、人口減少を抑止し、生産性を高め、選ばれる土浦を作ることです。土浦駅周辺、小町の里、つくばりんりんロードと霞ケ浦湖岸道の接続、など地域資源を最大限に高めていく必要があります。
 ぜひとも皆さまとともに、今日を節目に、土浦市の未来を切り拓いて参りたいと存じます。本日は、誠におめでとうございました。
 

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