5月30日のダイヤモンド・オンライン編集部長 深澤献氏のコラムが眼にとまり、そして、オバマ大統領の広島演説の一端を理解する一助と思いました。
そこで、私の備忘としてここに留めます。
オバマ広島演説に込められた原爆慰霊碑文の精神
ダイヤモンド・オンライン編集部
2016年5月30日
米国のオバマ大統領は5月27日、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問した。その際に行った演説にはどんな意味が込められていたのか。原爆慰霊碑に刻まれた文章と照らし合わせながら考える。(ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)
「71年前、雲ひとつない晴天の朝、空から死が舞い降りてきて世界は一変しました。閃光と炎の壁が街を破壊し、人類が自らを破壊する手段を手に入れたことを示したのです」
現役の米大統領としては初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領
現職の米国大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領が行った演説は、そんな言葉から始まった。人類が手にした、核兵器という自らを破壊する手段について、17分にわたって所感を述べた。
「10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、12人の米国人捕虜など、こうした犠牲者たちの魂が、私たちに語りかけています。私たちは何者であり、これからどうなるべきなのか、自らの内側を見つめろ、と」
「この空に立ち上がったキノコ雲のイメージは、私たちに人類の中核にある矛盾をはっきりと思い起こさせます。
物質的な進歩や社会的な革新は、私たちに真理を見失わせることがどんなに多いか。より高邁な主義・主張という名の下、私たちはどれだけ安易に暴力を正当化してしまうことか──」
来日前に焦点となっていたことのひとつは、原爆を落とした当事国として謝罪があるかという点だった。演説の中には謝罪を示す言葉はなかったため、いまなおそれを問題視する声もある。
だが、国内世論は概ね、オバマ広島演説に対して高い評価を与えているようだ。
原爆慰霊碑に刻まれた文章の意味
オバマ大統領が献花した原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。慰霊碑と原爆ドームが一直線で結ばれるよう配置されている。
この慰霊碑は1952年(昭和27年)の8月6日、原爆投下から7年目の記念日に設立された。原爆死没者名簿を納めた石棺の正面に置かれている。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(英文では「Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil.」)との文章を考案したのは、自身も被爆者である英文学者の雑賀忠義・広島大学教授(当時)で、実際に揮毫したのも雑賀氏である。
ここでいう「過ち」とは何を指し、誰が犯したものなのか。はっきりしない文章に、違和感を覚える人もいるかもしれない。筆者は少年時代を広島で暮らし、何かにつけこの碑文を目にする機会が多かったが、確かに当初はそんな印象を持っていた。
実際、慰霊碑の建立当時から、この文言に対しては多くの意見が挙がっていた。除幕式を終えた直後の8月10日の地元紙「中国新聞」には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載されたという。
主語は「人類全体」という公式見解
こうした声に対し、当時の浜井信三市長は「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界に再びあってはならない」と主張し、主語は「人類全体」なのだと説明した。
もっとも、原爆関係の記念資料館などの建設は、1949年5月に国会で可決された広島平和記念都市建設法に基づくものである。当時の日本はまだ連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)支配下だった。それゆえに、米国に対して原爆投下を非難したり、謝罪を求めるような政治状況ではなかったということを理由に、そのような状況下で作られた碑文を改めるべきとの議論がいまだに存在するのも事実だ。
GHQによる占領体制が解かれた後の1952年には、東京裁判で判事を務め、「A級戦犯」への無罪勧告を行ったことで有名なラダ・ビノード・パール氏が広島を訪れ、講演会で米国の原爆投下を痛烈に非難した後、慰霊碑の前で碑文の内容を聞くや、「原爆を落としたのは日本人でない。落とした者の手はまだ清められていない」と、まるで日本人が自分たちに対して謝罪しているかのような文章を批判した。不戦を誓い、謝罪するのは原爆を落とした側の米国ではないか、とのパール氏の主張は、被爆者をはじめ一定数の日本人の共感を呼んだ。
それに対しては碑文の揮毫者である雑賀氏が、「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」との抗議文を送り、いわゆる「碑文論争」が巻き起こった。
その後も長く、この碑文をめぐっては論争が繰り広げられ、あろうことか碑にペンキがかけられたり、ハンマーで破壊されるなどの事件も起きているが、広島市の見解は一貫して、慰霊碑建立当時と同じだ。現在、広島市は碑文の意味について次のように説明している。
「原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の『過ち』とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています」(広島市HPより)。
この主旨は、現地を訪れた外国人にも伝わるよう、日本語と英語の他、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語、韓国語で、碑文の近くにも説明文が掲げられている。
「人類全体」を主語に据えたオバマ演説
ちなみに広島市も日本政府も、一貫して米国には謝罪を求めたことはない。
日本政府は2007年7月に、鈴木宗男衆議院議員による「第二次世界大戦が終結して以来、政府は米政府に対して我が国に対する原子爆弾投下について抗議を行ったか」との質問に対して、安倍首相が「米国政府に直接抗議を行ったことは確認されていない」と答えている。さらに「米国による原子爆弾の投下に対する政府の見解」については、「戦後60年以上を経た現時点において米国に対し抗議を行うよりも、政府としては、人類に多大な惨禍をもたらし得る核兵器が将来二度と使用されるようなことがないよう、核兵器のない平和で安全な世界の実現を目指して、現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要であると考える」と答弁し、閣議決定している。
日本側に謝罪を求める動きがない以上、そもそも今回、米国側が謝罪の言葉を発する可能性は薄かったわけで、それを今回のオバマ大統領の広島訪問と発言の焦点とするのは無理があった。
なにより「朝日新聞」が被爆者164人に行ったメールアンケートでは、「原爆投下について、オバマ大統領に謝罪を求めるか」を問うたところ、6割が「求めない」と回答している(同紙5月7日付)。その理由や思いは人ぞれぞれだろうが、米国から謝罪の言葉を得ることが国を挙げて、どころか被爆者の総意ですらないことは明らかだ。
それより今回、オバマ大統領は分刻みのスケジュールの中で、急遽、10分足らずとはいえ予定外だった原爆資料館への訪問も組み込むなど、原爆と広島、長崎に対する理解を深めたいとする思いが伝わってきたのが印象深い。当然、自らの手で花を手向けた碑文に関する説明も受けていることだろう。
確かにオバマ大統領の演説の中に、謝罪の言葉はなかった。だが、まさにこの碑文が意味するところを十分に理解した内容だったといえるのではないだろうか。
科学がしばしば効率的に人を殺す道具として使われることの矛盾を、「私たち人類」は自問しなければならないとオバマ大統領は演説の中で強調した。
すなわち、演説の主語を碑文の主語と同じく「人類全体」にすることで、「過ちを犯した者」そして「それをもう繰り返さない者」の中には当然、米国人も含まれることを示したといえる。日本が世界で唯一原爆の被害を受けた国であるのと同時に、米国が世界で唯一核兵器を使ってしまった国であること、それを「正しかった」と強弁せざるをえない国となったことに対する反省とも受け止めることができる。そのうえでの核兵器廃絶の誓いだったわけだ。
当の被爆者を含め、日本では今回のオバマ演説の評価が高く、「事実上の謝罪」とまで捉える向きが多いのは、そうした含意を感じ取ってのことと考えられるのである。
原爆慰霊碑の文章をめぐる論争も、これを機に終わりを迎えるのではないか。そう思わせる17分間だった。