【予科練】20世紀は戦争を美化し、一億人の命を奪った。戦争の悲惨さを訴えずして平和は語れない。

 阿見町に「予科練平和記念館」を訪れ、特攻と言う戦争悪の極致に散った若き青年の姿を目の当りにして参りました。
 ご存知の通り「予科練」は、「海軍飛行予科練習生」の精度略称です。熟練の戦闘機搭乗員を若いうちから育てるために設立、全国から14才半から17才の少年が選抜され集いました。その数は、終戦まで15年間で約24万人が入隊し、うち2万4千人が戦地に赴き、戦死者は8割の約1万9千人に及びました。
 予科練平和記念館は、予科練志望者の憧れだった「七つボタン」に模して7つのテーマから構成されています。
 ①入隊 海軍兵学校に次ぐエリート校と宣伝され、学業成績と適正に優れた少年が集いました。それは憧れの実現のようでした。
 ②訓練 「月月火水木金金」の起きてから寝るまで全てが訓練。ハンモックの寝床も机も、そこには自由はなく訓練のみがあった。
 ③心情 親元を離れての生活。家族や友人からの手紙に生活や心情が綴られている。
 ④飛翔 厳しい訓練を乗り越えて、晴れの卒業式を迎えた予科練習生たちは、後輩の「帽ふれ」に見送られて新たな訓練地に向かいます。
 ⑤交流 予科練習生たちの楽しみは、日曜日の外出、訓練合間の映画会、慰問隊の来隊、家族の面会でした。その地元の交流です。
 ⑥窮迫 昭和20年の米軍の硫黄島上陸。ここから日本本土への大規模な空襲が始まりました。予科練の地も6月20日の空襲で壊滅的被害を受けました。
 ⑦特攻 少ない兵力で形勢を逆転する。そのために250㎏爆弾を取り付けた零戦が体当り攻撃する特攻攻撃が考案された。特攻による予科練成の戦死者は約2800名にのぼります。
 この「予科練平和記念館」は、平和のための記念館です。
 戦争は、如何なる美名を持っても絶対に許すことはできません。
 ましてや、十代の少年を一撃必殺として、死に追いやる軍の狂った所業は、戦争という権力闘争の悪の極みです。
 ぜひとも、少年の遺言に秘められた真情を汲み取って頂きたいと思います。
 皆さまのお越しをお待ちします。
 〒300-0302 茨城県稲敷郡阿見町大字廻戸5番地1
 ℡029-891-3344
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