懐かしき我が母校――上大津東小学校。
晴天の今日、上大津東地区の田村・沖宿・おおつ野の市民運動会が、母校上大津東小学校で開催され、ご挨拶に伺いました。
懐かしい顔が、お孫さんやお子さんに囲まれて、賑やかに花咲いています。
私も、皆さまに声援を頂きました。本当に有り難いことです。心から感謝申し上げます。
64回を数える運動会。この校庭に、確かに私は居ました。
鼓笛隊で指揮者はできなかったけれど、小太鼓をした記憶が湧き上がります。白い服でした。
坊ちゃん刈りの頭で、細いを目をした色白の少年の思い出です。
当時の平屋の校舎は既になく、二階建ての鉄筋の校舎になりました。
今は、米糠の雑巾で、廊下を磨くこともないのでしょう。ピカピカの廊下のひんやりとした感触を思い起こします。
雑巾がけの競争も懐かしい。一等賞になったことはありません。足の遅い子供でした。
人は、思い出と共に成長します。経験と共に明日を拓きます。元気な運動会を思いっきり楽しんで、歓声ともに愛情溢れる子供達の成長を願います。
この校門をくぐり、入学しました。この校門から卒業しました。
そして、私は、同級生とは、別の道を行く事になりました。昭和44年の春――創価中学へ。
今でも思い出します。中学一年の夏、皆が学ぶ五中に行きました。
どんな顔をして会えばいいのだろうと逡巡して。
当時、中学は坊主頭でした。私は違いました。それが、妙に恥ずかしくて恥ずかしくて、誰にも会わずに帰った遠い記憶があります。
違和感というものは、他人にあるのではなく、自分の心にありました。
その同級生が、上大津東卒初めての同窓会を開いてくれます。
楽しみに楽しみにして、心躍ります。感謝して感謝して、有り難うございますと涙します。