初の県議会一般質問から一日を経て、あらためて質問の難しさを感じます。
それは、回答を引き出す質問の難しさです。感想としては、現時点で相当な考え方の検討をしたものもあり、今までの踏襲であったりするものがあったようです。
また、私自身の側に、回答は直截的にならずとも、言っておかなければならない質問もありました。本会議の議事録に残すことが、今後のステップになるというものです。特に、公明党の主張を、言うべきことは言うが大事です。そのうえで工夫が必要だということですね。
さて、既に井手県議のブログで紹介されてしまいましたが、今回の幻の原稿は二つあります。二つとも時間調整の中で割愛しました。
その一つは、結びの原稿です。
それは、①「もはや震災後ではない」という一日も早い復興への決意であり、
②1956年生まれの私の時代背景を55年体制と比して(決別して)、県議会も世代交代がなされた、
③更に、虚構であった安全神話と原発についての考え方を踏込み、「もはや原子力依存ではない」と記したことです。
つまり、私自身の時代背景を明確にしながら、新しい使命の道行く茨城県勢発展に尽くすという決意表明です。
まあ、これが言えませんでした。残念ですが、やむなく思います。ですから、以下原文を掲載します。
(むすび)
さて、振り返りますと私の生まれた昭和31年、1956年の経済白書には、「もはや戦後ではない」と、戦後10年を経て新しい時代の幕開けを宣言致しました。
それは1955年の保守合同、55年政治体制のスタートの翌年でもありました。
そして、本年、私たちは未曾有の東日本大震災に遭遇し、虚構であった安全神話の原子力発電の危機に身を置くこととなりました。放射性物質の半減期は長く消し去る事はできません。
私は、「もはや震災後ではない」を「もはや原子力依存ではない」と宣言する時が一日も早からんこと願い、決意して、私たちの使命として県勢発展に尽くして参りたいと存じます。