ウエディングパレス美鳳を視察調査の後、井手県議とともに、国道6号を北上し、大津・平潟と北茨城市の港の現状を視察しました。
漁協のある港は、すべからく地盤が沈降し、港そのものが破壊され復旧はいまだに進んでいるようには見えません。
数多くの漁船が停泊していました。それでも市場が破壊されています。製氷施設が稼働していません。輸送する保冷車等も今日見ることはできませんでした。
平潟港は、海岸隣接の集落が壊滅して、今も取り壊し作業が続き、完全な更地でもありませんでした。津波の脅威が集落を飲み込み、亡くなられた方がいらっしゃいます。津波は、集落奥の崖を目指して押し寄せ、そして大きく反射しながら勢いを増して襲いかかったそうです。一度退避した方が、戻って被災した事実もあるようです。
集落の入口、港の傍らに、津波襲来を知らせる半鐘があります。使われなかった半鐘です。誰も半鐘を叩いて、逃げることを知らしめることはなかったとお聞きすると残念さとともに悔しさも滲みます。避難の難しさを感じてなりません。
この平潟の集落は、今後どうなるのでしょうか。高台移転するような土地はなさそうです。土地を捨てるなどできないことだと感じます。それでも、これからもまたこの地に戻り生計の土地とするのでしょうか。ここに住む皆様が、自ら選択する以外にありません。それでも、例えば小規模化もしれませんが「復興特区」の一つとして、国が県が、地元の庶民のために最前を尽くすべきだと感じます。その橋渡しを公明党としても頑張りたいと思います。
また、原発の放射能による風評被害は、アンコウの販売不振で、年越しの危機にあります。冬の風物詩をも奪い去った原発事故に怒りが募ります。
野口雨情生家の板塀です。ここまで津波が来ました。雨情から見ればひ孫の歯科医師の先生がビデオ収録したことは皆さまがご存知の通りです。
雨情生家の裏手の常磐線です。写真中ほどに踏切があります。この踏切は低い位置にあり、津波が線路を乗り越えました。
大津港です。港は破壊され沈降しています。殆どの港湾が復旧の区大的なメドが立たないのではないかと考えてしまいます。
市場の再開はいつになるのか。この現実があります。
平潟の住居地域。写真にある崖に津波がぶち当たって集落を襲ったそうです。
平潟の被災した集落の現状です。
平潟港の復旧工事の状況です。やはり港の沈降に対してどう取り組むかが課題と感じます。