平成24年1月2日は、早朝の曇り空に、お昼頃から万物を照らす光が戻ってきました。
穏やかな新年の二日目を迎え、改めて1月1日の新聞各紙を読んでいます。
改めて東日本大震災と福島第一原発事故をどう捉えていくのか。
復興は、机上では分からない具体的な現場の具体的な対応が問われてきます。
生活と産業の再構築は、全てが一律ではなく個別の事なのです。更に、生活にも産業にも営々たる歴史があります。
「公平感という理屈は時に不公平なのではないか」と思うことがあります。寛容と楽観がなければ、利他と自立がなければ、膠着こそあれ前進がないのでは考えてしまいます。だからこそ、スタートに「徹して聞く」ことだと思います。無駄に思えることが、実は価値的なのだと何時も考えます。そして、自ら動くときにこそ達成のゴールは近づくものだと思います。
茨城県政の課題も、まずは「震災復興」です。この震災復興は、震災前をゼロベースとした目標達成を少しでも越えたところに成果を求めたいと思います。それは、インフラの整備も防災対策も、想定外を越えなければならないと考えるからです。理想と現実のせめぎ合いは、予算次第かもしれませんが、確実に次なる災害までの時間はカウントダウンしていることを思わなくてはなりまのせん。
次いで、「原発と放射能対策」です。東海第二原発のある茨城は、その原発そのものの存在が問われています。定期点検終了後の再稼働容認問題からいわゆる廃炉について、更に議論を深めなくてはなりません。原発が生活に根差している以上は現実的なプロセスを指示していかなければならないと思います。「原発」は過渡的であるべきです。つまり、「廃炉」を目指すべきだと私は考えます。
加えて、福島第一原発由来の放射性物質対策は、子ども達の健康と県土そのものを守り切っていかなくてはならないと思います。信頼できる安全と心からの未来に対する安心を担保できる施策が必要だと思います。また、半減期を考え減衰を想定しても放射性物質は消え去ることはありません。どこかに流れ着くのです。その流れ着く先に霞ヶ浦があるとすれば、今ここで十分な対応策を審議すべきです。衆知を集めない理由などありません。人が生きるための大地と水と空気が、危険な状態にあることに、安易であってはなりません。
更に、「行財政改革」です。国の財政しかり茨城県の財政は、簡単に言えば慢性的な借金体質で、特例的な県債(将来交付税措置されるであろう=あてにならない国だより)により成立しているといっても過言でありません。そして、単年度主義の現金主義で単式簿記の公会計では事業の継続性と採算性に切込むことはできません。ましてや県民への説明義務を果たしているとも思えないのです。大体、本当の人件費(的なもの含む)は全く把握されていません。
会計制度を本年変えることは難しいでしょう。しかし、予算の事業の並列記載の中で二重計上や事業名変更による継続性などが見られる限り、本当の投資効果を図ることはできないと思います。
無駄という言葉では解決できない部分により、負の雪だるまを止めることは出ないと思います。この投資と削減の予算編成にしっかり目を凝らして取り組んでいきたいと思います。
さて、地元土浦市では、合併特例債事業が目白押しです。このハコものが土浦の将来を決すると思います。つまり都市づくりの核を作ろうというのが合併特例債事業です。市庁舎、消防署、図書館等々の位置と規模は人の流れを左右し、消費の拡大と移動を意味します。多くの事業は審議会方式で意見集約されますが、市執行部と議会の議論こそが大切です。ここに期待します。投下資金の規模はかつてなく、そして今後もないものです。全ての施設の点を有機的に繋げて腺から面への政策であることを期待します。常磐線の東京駅乗り入れも間近です。土浦市も大事な時を迎えたのです。
県も市も、大きな課題を抱えて平成24年がスタートしました。昨年の自然からの超大な「挑戦」に、人智を終結した「応戦」をして参りたいと思います。