【孤独死】プライバシー尊重の壁を乗り越えて、「助けて!」と叫ぶことができる近所付きあいの社会。

 孤独死事件が起こるたびに、人生の終末の迎え方に「孤独」というたった一人が迫っていることに戦慄します。
 これは特別なことではない。社会のどこかにある人間同士の違和感を感じるからかもしれません。
 さて、そう考えている中で、孤独死を「プライバシー尊重の壁」と言う言い方で迫る論考に出会いました。
 この論考は、住宅流福祉総合研究所木原孝久氏によるものです。
 論考では、孤独死は完全に防止できないとして、その「原因を孤独死防止の本気度の本気度」と「困った人からこちらに来なさいとの姿勢」にあるという。
 そして、多くの人が、それも90%の人が、「困った人がいたら助ける」としていながら、「困った時に助けを求めますか」と聞くと、助けを求める人は3~5%に留まるミスマッチ。つまり、「助けを求めることができない」中で、助ける側の「頼まれなくても助ける『でしゃばり』」の存在の少なさが多くの原因であるとしています。
 助けあいのミスマッチがある限り、孤独死はなくならないし、福祉の課題もなくならない。助けて欲しい人の発信力を超えたところに私たちは、声を掛け手を差し伸べおせっかいをしなければならないのだろうと思います。
 そして、そのために必要なこととして、
 ①「夫が認知症」「息子が精神障害」などをオープンに言えること。社会全体が「プライバシー尊重」の壁を乗り越えること。
 ②困った時は思い切って、「助けて!」と言うこと。
 ③そのために相手に迷惑がかかっても良いと居直ろう。
 ④引きこもりの人は、こじ開けてしまおう。
 みんなで言えば怖くない「助けて!」。世間には「実は・・・」の世界であることを知ってしまおうと言うものです。