【予科練平和記念館】「特攻」という悲惨、「予科練」も「回天」も、平和探究の行動の絶対繰り返さない原点だ。

 終戦記念日となる今日、阿見町に予科練平和記念館を訪ねてきました。
 同記念館では、海軍航空隊である予科練とともに、人間魚雷である「回天」の特別展が開催されています。
 共に、敗退続く戦況逆転を企図する体当たりの特攻。飛行機と魚雷という違いはあるものの、余りに悲惨であり、追い詰められた軍はもはや人間としての破滅を決定づける作戦と言えます。
 特攻兵器「回天」は、昭和19年8月に正式兵器として採用され、山口県大津島に基地が開設されたようです。
 
 終戦までに訓練を受けた搭乗員は1375名に及び、そのほとんどが、兵学校・機関学校出身の若者、学徒や学生出身の予備学生、20歳に満たない予科練出身者たちであったそうです。
 回天による戦没者は、搭乗員、整備員他145名、没時の平均年齢は21.1歳である。
 その悲惨さは、出撃隊が編成され出撃が決まると、最後の別れのため、我が家に帰ることが許されたものの、秘密作戦であったため、死への旅路に出発することは家族にさえ知らせることができなかったそうです。
 戦争は、未来ある若者を犠牲にします。それは、親たちの未来をも奪うものです。 子ども達を大切にすることの重要性は、永遠に変わることはありません。
 戦争は、絶対に美談ではありません。人間の命の魔性そのものです。奪命という絶対悪を許してはならないのです。
 あらためて、命の尊さを噛みしめ、平和への着実な歩みを進めたいと思います。
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