【終戦記念日】悲惨を繰り返さない人間の安全保障を確立したい。我が家の歴史に戦中戦後を再発見。

 明日は、67回目の終戦記念日を迎えます。
 8月15日は、すべての戦争犠牲者の方々に祈りを捧げ、「不戦への誓い」「平和への誓い」を新たにする日です。
 私自身も戦争を知らない世代です。父母から聞いた戦争は、霞ヶ浦を挟んで我が家の対岸にある霞ヶ浦航空隊(予科練)に対する爆撃と爆発により舞い上がる水柱でしかありません。
 また、我が家が土浦市沖宿の地に来た理由は、埼玉県川口からの疎開であった事実があります。軍需産業でもあった鋳物工場を経営していた祖父が、土浦の実家と友人を頼って疎開してきたと聞いています。
 それは、にわか百姓のようでもあり、霞ヶ浦の私的干拓事業でもあったようです。かつて、屋号のように我が家は「かんたく(干拓)」と呼ばれていたようですから、納得がいきます。そして、にわか農家の地主も、戦後の農地解放で、殆どの農地が自身の手から離れたという歴史もあるようです。
 さて、自身のことから対極に目を転じれば、間違いなく、戦争の惨禍を深く胸に刻む努力、風化させない学習や行動、平和の尊さを次の世代へと語り継ぐ施策等が、私たちの重大な責務として求められているのではないでしょうか。
 世界に目を向ければ、太平洋戦争終戦から67年が経った今日でも、いまだ世界には私達が望むような平和は訪れず、北朝鮮やイランの核開発などの問題や、国際テロの不安、激しい地域紛争など、むしろ緊張は増すばかりです。
 日本は世界で唯一の被ばく国です。1945年8月6日に広島、9日には長崎に原爆が投下され、約30万人以上の方々が犠牲となられました。
 公明党は、2015年の「核廃絶サミット」開催と、2020年までに「核兵器禁止条約」の締結をめざすよう提唱しています。非核三原則を堅持し、「永遠に核兵器を保有しない」方針を日本政府として明確に宣言するとともに、核軍縮・核不拡散に関する構想と、道筋を示したロードマップの策定で、日本がリーダーシップを発揮するよう、政府に強く求めています。
 さて、本年は、国連の平和維持活動(PKO)協力法の成立から20周年になります。同法による自衛隊の海外派遣は1992年9月、陸上自衛隊のカンボジア派遣を皮切りに、これまで計14件派遣されました。停戦・軍事監視や人道支援、選挙監視、復興開発の実施などを通して国際社会から大きな評価を得ており、日本の国際貢献の柱として定着しています。
 国論を二分するほど反対の声も強かった自衛隊のPKO参加でしたが、20年たった今年1月、内閣府が実施した世論調査では自衛隊のPKO参加を「大いに評価する」32・0%、「ある程度評価する」55・4%と、合わせて9割近くの国民が評価し、圧倒的支持を得るに至っています。公明党の主張の正しさを歴史が証明したといっても過言ではありません。
 座して平和を強調するだけでは何も生み出しません。現実を直視した「行動する国際平和主義」こそが、現行憲法の前文や9条の精神にかなうと確信します。
 さらに、平和創出のためには、貧困や紛争などあらゆる脅威から人間を守る「人間の安全保障」を確立することも重要です。
 人々の心の中に、他者の存在、他者の痛みを感じ取る心を育てるとともに、不信を信頼に変え、反目を理解に変える「対話」「文化交流」「青年交流」の拡大が絶対的に必要なのです。