昨日(2/25)の常陽懇話会は、県議会の重鎮である石川多聞県議(元県会議長、いばらき自民党政調会長・総務会長・議員会長歴任)の「汽水湖化も選択肢の一つ――霞ケ浦浄化の抜本策を提案」を演題とする講演があり、興味深く拝聴しました。
石川県議は、佐藤栄作首相の秘書をするとともに、機関紙「総調和」(発行責任者・山岡荘八)の編集長を務められて経歴を持ちます。加えて、茨城県林業協会会長、モンゴル緑化日本協議会会長の役職にもある方です。
講演は、編集長であった機関紙名であった「総調和」について、森林も川も湖もすべては一体であり、人間はその中で生存していかなければならない。つまり人と自然は「調和」の存在で有るべきだと話されました。そして、調和に「総」を加えて「ユニバーサル・ハーモニー」と英訳するエピーソードを披露しました。
東日本大震災を見ても、人間が自然を占有できないことは明らかであり、人間の錯覚こそが恐ろしい。人は自然に謙虚であって、自然に生かされている存在ではないかとしました。
自然を自分の事と受け止めるとすれば、霞ヶ浦に人為的な造作は必要ではなく、汽水湖化による、言い換えれば自然の力による浄化や自然のままの姿を受け止めた産業の創出が必要ではないかと話されました。
霞ケ浦浄化を観念的なものにしないためには、地元の市政の人の怒りや叫びが必要であり、自然の内に産業が興ることが大切であるとしました。
そして、敢えて人為的なことを言えば、霞ケ浦導水の進展が望まれるが、霞ケ浦導水そのものが何のために使われるのかを精査しなければならないとしました。
霞ヶ浦浄化は、汽水湖化による塩分の存在と、反対に真水の存在を次葉図分ける考え方はないだろうかと提案もされました。
石川県議の「総調和」の考え方から導き出された汽水湖化ありとの見解は意味のあることだと思います。しかし、その上で実験としての汽水湖化をする判断は難しいと思われます。一度踏み出した霞ケ浦の水ガメ化はなかなか後戻りできそうにありません。判断に伴う責任を負う人が出るものなのでしょうか。そう考えてしまいます。