感動が感動を呼ぶ。瞬間の心の交流に美しい涙が一筋流れた

 茨城県内各地の中学校で、卒業証書授与式が開催されました。
 私は、地元土浦第四中学校をお訪ねして卒業のお祝いをさせて頂きました。私の長女長男も卒業生でありながら、ともに卒業式に出席しておらず一層感慨深いものがありました。
 私の子供たちの年齢と卒業後の時間を考えると、中学高校と、思春期のともすればアンバランスな心身の成長も風のように通り過ぎるものかなと思われてなりません。
 
 この卒業式では、「義務教育の終了」という言葉が数度話されました。それは、義務教育という言葉が、子ども達(生徒達)に発せられることへの違和感です。いやいや父兄に向けてかも知れませんし、子ども達に、教育の自由度の発信を言っているのかも知れません。
 また、指導要領の世界かも知れません。義務ということへの、私の懐疑かも知れません。教育の均等や教育を受ける権利の履行に、卒業式が、もっと麗しく喜びに満ちていたかも知れません。
 教育の有り様が問われます。これから研究して参ります。
 国が、義務教育といい、幼保一元における立て分けにせよ、10才での年齢区切りや、更には少年法について考えさせられます。
 難しいですね。色々なご意見をお寄せ下さい。
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  DSCN1379  この日米山校長先生は、式辞の中で、三年間を振り返り万感の思いを込めて、檀上にて歌を歌われました。楽曲は「大空と大地の中で」(松山千春)です。予想される父兄は居なかったのでしょう。歌を歌いますと言われた時には、会場はどよめきました。何を歌うのかとの興味も高まりました。そして、校長先生は、広い広い世界に羽ばたく生徒にエールを送られました。この歌を中学生は知っていたでしょうか。知らないかもしれません。それでも、感動が感動を呼んだと思います。校長先生の感動が、感動として伝わる。これが教育の大きな役割です。校長先生の歌こそが教育そのものかも知れません。そして、卒業生も何度も練習し、大会で発表した合唱曲を歌い上げました。立派な卒業式でした。