霞ヶ浦文化体育館の避難所開設五日目となりました。既に、110グループ(家族世帯数ではなく、一族数世帯で一緒に行動するグループという意味で)453名となりました。
県としては、同体育館は予定定数を超えるとして、牛久市を避難施設として斡旋していますが、それでも深夜に訪れる方もいて、人数は増加傾向にあります。
受け入れる県職員や土浦市職員(財団法人土浦市産業文化事業団本部=体育館事業運営者と土浦市霞ヶ浦総合講演体育施設担当職員お及びボランティア統括の社会福祉法人土浦市社会福祉協議会)は、数日の内に経験を積んで、事故なく運営されています。
加えて、避難し収容されている皆さん(ほとんどがいわき市の方)は、直接的に津波等に被害を遭われた方というより、原発の放射線被害を懸念して自主的ないわき市を後にしたようです。それゆえ、相応の覚悟と準備があるようで、今は気持ちにゆとりが見られます。
つまり、問題は長期化すると言う事です。霞ヶ浦文化体育館の課題は、十日後、二十日後、一ヵ月後は、精神的に追い込まれてからのケアにあると思われます。
また、ボランティアや救援物資の長期継続は、かつて経験のないことであり、未知の世界に入ることになると思われます。
さて、そんな見通しですが、避難所も多くの方の善意と工夫で、生活の定着がなされているようです。以下、いくつかをご紹介致します。
ダンボール板を使った自宅?も増殖?して参りました。
ダンボールハウスは、さすがに屋根はありませんが、土台や柱に相当する部分を補強する立派なものもあります。
今日は、ダンボールハウスに「地番」に相当する番号が振り付けられて、世帯や一族の管理も可能になりました。
今後収容者が増加して、ハウス全体を移動するときに、附番管理が有効ということになったようです。
時には、番号で収容されている方を呼び出しできるようになりました。
もしかすると、自治組織ができるかもしれません。ダンボール都市の成立が見られるかも知れません。
お風呂にも入れるようになりました。市内スポーツクラブのご厚意で、一日二回、一回30分ですが、送迎バスもでます。事前に整理券を配布しますが、混乱はありません。
本ブログでも呼びかけした最も必要とした灯油も、多くの方にが持ち寄って下さいました。私のブログに、「届けました」とのご報告も頂きました。本当にありがとうございます。
皆様から頂戴した救援物資は、その種別に分けて、必要なものを必要な方にお渡ししました。救援物資の整理・仕分けや必要品の聞き取り、手渡しには、165名のボランティアの力が必要であり、遺憾なく発揮されました。一日二回の手渡し時間には、多くの方が日常品を含めて要望を伝え、そして応えていきます。「杖」までありました。ご厚意は、他人への思いやりを創造力の翼で広げるものだと教えて頂きました。
心のゆとりが被災者の皆様には必要です。そのために「ネイルアート」をして下さる方もいます。どうしても日常の清潔や美しさからは離れる生活に潤いが感じられます。
歯科医の相談窓口も開設されました。東京医科大学からは、ドクターも看護師も来てくださり、健康相談をして下さいました。
今日は、避難者の皆様限定のガソリンと軽油の限定販売もありました。地元ガソリンスタンドのご厚意で、整理券を発行して、地元土浦市民にも優先し購入できます。これには長い列ができました。ガソリンの不足は皆に沁みて感じられます。
電気のコンセントの不足は、施設設計の上からやむ得ない事情です。そのため携帯電話の電源探しは皆さん苦労されているようです。
その他、近隣のレストランが時間延長でオープンし、貸自転車で周辺散策もできる環境が揃ってきました。
今後は、長期滞在のストレス、情報不足の心配や、我慢から少し解放され出てくる我儘等があろうかと思われます。
明日からは、一日二回の体操や、子供達への読み聞かせ広場の設置等があるようです。
繰り返しますが、ボランティアは、自らの意思で、自らが思いやりの心で想像力持つことで、大きく広がっていきます。人数の問題ではありません。お一人で大丈夫です。是非とも、体育館の入り口でボランティア登録をして少しだけで良いですから、心厚き行動をお願いしたく思います。
これからの無事故を期して万全を図って参ります。
さて、土浦市の特産の「蓮根」も、出荷できないようになりました。それは、放射線の問題ではありません。市場が「茨城産」を理由に言ってきたことによるものです。典型的な「風評被害」です。
今後の展開は、予断を許しません。しっかり監視し、茨城農業が風評被害から回避できるように頑張って参ります。