「こころ」は見えない、「こころづかい」は見えるを、菅総理にわかって欲しい

 昨日、橋本知事が厚労省・農水省・国交省を訪れ、各大臣に東日本大震災で茨城県が被災した状況と緊急要望を行った内容が、資料提供されました。
 これは、本日の新聞各紙でも掲載されているものですが、あらためて、
 ①厚労相には、農林水産物の出荷や飲食物摂取等を制限する放射能の基準等の早期整備や甚大な被害を受けた福祉・医療等施設の復旧支援を要望。
 ②農水相には、原発事故による農林水産物などに対する風評被害への対策強化などについて要望。
 ③国交相には、甚大な被害を受けた重点港湾である茨城港、鹿島港の復旧支援や、今だ復旧の見通しが立っていない鉄道各線の早期復旧への支援などについて要望
 したということです。
 各大臣からは、
 細川大臣が、厚労省も含めて政府全体として検討したい。
 鹿野大臣は、(農家への)つなぎ資金は、今まさにまとめているところ。作付けに対する被害は、一刻も早く策を講じたい。いずれにしても、対応方針を定めて、ひとつひとつ対処していきたい。そのためにも、茨城県から今後も正確な情報をいただきたい。
 大畠大臣は、テレビの影響か茨城は被災県と思われていないようなところがある。了解した。とあったそうです。
 原発事故の恐怖は、時とともに深く侵攻して、気がついた時には抜き差しならない現実が突きつけられることにあるように思われます。
 
 目に見えない恐怖は、やはり目に見えない私たちの心の動きに入り込んできます。
 
 「直ちには」という言葉は、今は大丈夫でも将来は危ないと言う事になれば、将来の不安を打ち消すために、今をどうにかする以外にありません。
 微小なる今の不安を消すために拡大解釈する危機予想は、大きく市民生活を損ないます。
 テレビの公式見解を信用しない国民がふえているのです。
 
 何よりも原因である原発事故を押し留めなければなりません。
 そのためには、「いつ・どこで・誰が・なにを・どうした」を定点で継続的に、知らしめなければならないのです。
 結果として、原発と適度に付き合うことになるのなら、その距離感をとる以外にはないのではないでしょうか。
 今、私たちは、恐怖の中で、ある一定の許容の懐具合を忘れています。
 リスクはヘッジすることが大事であるとともに、ヘスクを取ることができる体力と体質があるべきでしょう。
 
 明日の原発報道に、少しでも前進あることを望んでいます。