【集団的自衛権】誰が誰を守るのか、Q&Aで理解しよう≪公明新聞版≫

 安全保障政策に関し、安倍首相の要請によって「安全保障法制整備に関する与党協議会」が先月からスタートし、国会も集中審議を行った。その中で特に国民の関心を集めている集団的自衛権について解説する。
 国際社会における集団的自衛権の考え方を紹介する。
 『武力行使の禁止』
 『「自衛権」は例外的措置』
 Q 集団的自衛権は誰が誰を守るために必要な権利なのか。
 A 自衛権は国家の権利で、国家が「自国を守る」ための権利を個別的自衛権、「他国を守る」ための権利を集団的自衛権という。
 Q 日本国憲法のどこに書かれているのか。
 A 憲法には自衛権という言葉すらない。しかし、自衛権は国際社会の中で「国家固有の権利」として認められてきた経緯がある。憲法の条文になくても日本は国家として自衛権をもっている。
 Q 憲法は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇または武力の行使」を放棄している。なぜ、自衛権が認められるのか。
 A 憲法だけでなく、日本が加盟する国連も国連憲章で武力行使を禁じている。国連の武力行使禁止は85年前の不戦条約に源流があり、武力行使禁止の歴史は長い。そのため現在では、国際紛争における武力行使の禁止は国際法上の原則になっている。
 Q それなのに、なぜ自衛権を認めるのか。
 A 国家が他国から一方的に武力攻撃や武力侵略を受けた場合、それを阻止する手段はやはり武力しかないからだ。自衛権は自衛という条件の下で例外的に行使が認められている。
 Q 国連憲章も例外的に認めているのか。
 A そう。国連は集団安全保障という制度によって加盟国の安全を守っている。この制度では侵略があった場合、国連軍が侵略国を武力制裁する。
 しかし、国連軍が動き出すまで時間がかかるため、それまでの間に限って加盟国に個別的・集団的自衛権の行使を認めた。
 日本も憲法上、国連憲章上、武力侵略に対する例外的措置として個別的自衛権は行使できる。しかし、集団的自衛権については憲法上、行使できない。
 『他国防衛の権利』
 『厳格な発動要件は不在』
 Q 集団的自衛権の行使ができない理由は。
 A 憲法の「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の規定を総合的に考えると、一方的で不正な武力侵略を受けた場合に発動できる「自国を守る」個別的自衛権の行使が限界であり、「他国を守る」集団的自衛権の行使まではとてもできない。
 Q 集団的自衛権の行使で何ができるか。
 A 集団的自衛権行使の主な例を見ると、「武力侵略を受けた国を助けるための武力行使」という単純な図式だけで行使されたわけではないことが明らかだ。
 「プラハの春」はチェコスロバキア(当時)の民主化運動という国内問題を鎮圧するため、ソ連(当時)が同国を守るためだとして集団的自衛権を行使した。1980年の「アフガニスタン侵攻」の場合もアフガニスタンは他国の侵略を受けていなかったため、ソ連による集団的自衛権の拡大解釈に批判も起こった。
 2001年の「アフガニスタン攻撃」も特異だ。同時多発テロを受けた米国がテロリストを支援したとの理由でアフガニスタンを攻撃。そのアフガニスタン攻撃を英国などが集団的自衛権で応援した。
 Q 集団的自衛権行使の明確な基準はあるのか。
 A 国際的に一致した解釈論がないため、現実政治の中でさまざまな理由を付けて行使されてきた。
 そのため、集団的自衛権の行使が、自国と密接な関係にある「他国を守る」ためだけでなく、「他国への軍事介入」にも使われる可能性もあり、集団的自衛権の行使によって「他国の戦争に巻き込まれる」との懸念も生じている。
 集団的自衛権は「攻撃を受けた他国の安全と独立が、自国にとって死活的に重要な場合」に行使できるという解釈が国際法上の通説になっている。しかし「死活的に重要」だけでは曖昧で、厳格な要件とは言えないとの批判もある。
 『紛らわしい用語』
 集団的自衛権と集団安全保障は紛らわしい用語だが、全く別物である。
 現在、一般的に言われているのは「国連の集団安全保障」であり、国連が加盟国の安全を守るためにつくった“制度”である。一方、集団的自衛権は国連が加盟国に緊急時の例外的措置として認めた、自衛のための“権利”のことである。
 まず、上の右図で国連の集団安全保障を説明する。国連は全ての加盟国に武力行使を禁じる。その上で、E国(加盟国でも非加盟国でも可)が加盟国のA国を侵略した場合、国連が加盟国の軍隊で構成する国連軍を組織し、E国に対して「国連による制裁(武力制裁)」をし、侵略を排除する制度である。
 国連軍が動くまでの間、A国は武力行使禁止の例外的措置である個別的自衛権を行使して単独で反撃するか、または、関係の深い国に集団的自衛権の行使を要請し、共同で反撃することができる。
 このように集団的自衛権は国連の集団安全保障の中で認められた権利である。しかし同盟関係を支える権利としても理解されている。C国と同盟関係にあるA国がB国の攻撃を受けた場合、C国は集団的自衛権の行使でA国を守ることができる。
 『自衛権と警察権の違い』
 自衛権と警察権の違いは明確である。自衛権は他国からの武力攻撃を排除するための「国家固有の権利」であり、警察権は公共の安全と秩序を維持するための「公権力」である。自衛権は自衛隊が担い、警察権は警察組織や海上保安庁などが担っている。
 安倍首相は先月、有識者による安保法制懇が集団的自衛権の行使を認めるべきと提言したことに対し「採用できない」と言明。その理由として「憲法上、行使できない」とするこれまでの政府解釈と論理的に整合しないと強調した。その政府解釈の考え方を紹介する。
 『平和憲法の理念』
 『専守防衛に徹し信頼築く』
 Q 政府は集団的自衛権をどう解釈するのか。
 A その前に、憲法には自衛権を明文で定めた条文がない。政府はまず、自衛権が認められる理由から解釈論を展開する。
 Q 憲法第9条に自衛権の根拠があるのか。
 A 第9条だけでなく、憲法の前文、第13条を読み合わせて自衛権が認められる根拠とした。
 政府は「第9条の文言は国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見える」と言う。「実力の行使」は武力行使と同義である。
 その一方で、憲法前文は国民に「平和的生存権」があることを確認し、さらに第13条は「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」について、「国政の上で、最大の尊重を必要とする」とも定めている。
 政府は、前文と第13条の趣旨を踏まえ「第9条は、外部からの武力攻撃によって、国民の生命や身体が危険
にさらされるような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」と解釈した。
 そして、この考え方を基礎にして「わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らか。自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」とし、自衛権を認めた。
 こうした政府見解は、1972年に政府が参院決算委員会に提出した資料の中で明確に表明されている【下の表参照】。
 Q 裁判で自衛権が論じられたことはあるか。
 A 59年の砂川事件判決がある。
 最高裁は「主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されない」「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置はとりうる」と明確に示した。
 Q 自衛権を認めながら、集団的自衛権の行使はできないとする理由は。
 A 政府は集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力を持って阻止することが正当化される権利」と定義。
 その上で、他国への攻撃を日本が実力で排除することは「国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使する場合と異なる」と判断。「憲法の中に(『他国を守る』ための)実力を行使することが許される根拠を見いだし難い」として集団的自衛権の行使はできないと結論づけた。
 「自国を守る」個別的自衛権行使による「専守防衛」が平和憲法の理念であり、この解釈の下で日本は国際的信用を築いてきた。
 『首相の示した方向性』
 Q 安倍首相は就任前から集団的自衛権に関する政府解釈の変更に言及し、首相の私的諮問機関「安保法制懇」に報告書をまとめさせた。今後の展望は。
 A 首相は先月15日、報告書を受け取り会見を開いた。報告書には、集団的自衛権の行使容認のため、政府に解釈変更を求める内容の提言があった。
 しかし首相は、その提言を「これまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は憲法がこうした活動の全てを許しているとは考えない。したがって、この考え方、いわゆる芦田修正論【別掲記事参照】は政府として採用できない」と明言した。
 Q 集団的自衛権の議論はしないのか。
 A 首相は一方で、報告書にある「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することが許される」とのもう一つの提言について、自国の存立を全うするための必要最小限度の武力行使は許されると解釈してきた「政府の基本的立場を踏まえた考え方」であると表明した。
 その上で、首相は限定行使論について「研究を進める」との基本的方向性を示し、与党にも議論を求めた。限定行使論が政府解釈と論理的に整合するかどうかは、与党協議会の中で検討される予定である。
 また、首相の問題提起には、自衛権行使に至らないグレーゾーン事態や、国連平和維持活動(PKO)に関わる問題も含まれているため、与党協議では安全保障全般が議論される。
 『芦田修正論』
 『集団的自衛権の行使も多国籍軍参加も可能に』
 芦田修正論は、憲法第9条の下でも集団的自衛権の行使ができるだけでなく、国連の国連平和維持活動(PKO)や、国連安保理決議に基づく多国籍軍にも自衛隊は参加できるとする憲法解釈の基になった理論である。
 現行憲法を審議した帝国議会衆議院・帝国憲法改正案委員会(芦田均委員長)の小委員会(芦田均小委員長)で、第9条の第2項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言が加えられた。これを芦田修正と言う。
 芦田修正論は「前項の目的を達するため」の意味を、第1項が放棄したのは「国際紛争を解決する手段」としての戦争であり、その戦争を放棄する目的のために第2項が戦力の不保持を定めたと考える。しかし、自衛、またはPKOや国連が認めた多国籍軍の活動は第1項が放棄した戦争ではなく、自衛のためなら個別的・集団的自衛権の行使は可能で、国連の活動にも参加できると解釈する。