地元土浦市議選の前哨戦を戦っていると、ネガティブな噂に接することがあります。
それは、伝言ゲームの間違いに似た噂なのか、それとも、意図的に増幅された我田引水なのか、いずれにしてもあまり好ましいお話ではありません。
なかでも候補者の再起不能説や、一緒にいない者を居たとして揶揄するなどは、いかにも聞き苦しいものです。
選挙を前にして、政策の如何を論ずべきではないのかと思います。
以下のコラムには、ネガティブなう噂が毛筋ほども入らない男らしい信念があります。
「理屈ではなく、闘う仲間のために戦う」との清新な信念が試される時がきました。
北斗七星
2015年04月10日
◆放映中の大河ドラマ『花燃ゆ』は、明治の新時代を開いた志士の群像を描いているが、作家の司馬遼太郎氏は「幕末の長州の若者のなかで、吉田稔麿というのが好きである」(『街道をゆく・長州路』)と書いている
◆稔麿は、吉田松陰主宰の松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞と並ぶ「三秀」とされ、松陰に最も愛された逸材だ。元治元年(1864年)6月5日、新選組が、京都三条の旅籠・池田屋に会合した諸藩の志士を襲撃した「池田屋事変」に斃れる
◆新選組との死闘で、稔麿は負傷しながら白刃をかいくぐり修羅場を脱出。長州藩邸に急を報じ援兵を求めてから、手槍一本を引っ提げ、絶望的な状況の池田屋に引き返し、若い命を散らす
◆稔麿は機略家だ。彼自身が駆け付けたところで仲間が救えないことは分かっていた。藩邸内に留まることは恥ではない。が、そうしなかった。「つぎつぎに屠殺されてゆく仲間を、そのままにしておくに忍びず」「ただ、忍びぬままの情念だけで駆けだしたにちがいない」と司馬氏は記す。「稔麿の最期はメロスに似ている」とも
◆理屈ではなく、闘う仲間のために闘う。そんな友の熱い情念に支えられて、公明党は幾度も際どい勝利を手繰り寄せてきた。人が生きる、地方創生の時代を断固、切り開き、その真心に応えていかなければならない。(中)