【忘れず】一生涯、友を忘れず。明日の故郷のために、新しいまちのために。

 公明新聞6月14日のコラム「座標軸」は、東日本大震災を失った友への想いを描いています。
 「忘れず」は、希望の異名が心に残ります。
 
 座標軸   2015年06月14日 
 啄木が初めて海を見たのは明治33年(1900年)、14歳の夏だった。岩手県盛岡中学の担任、級友らと名勝・高田松原(陸前高田市)を訪れた。白い砂浜に7万本もの松が続く景観によほど感激したのだろう。「先生呆れて物言はず」なほどにはしゃいだと、後に述懐している
 処女歌集『一握の砂』には、この時に詠んだとも言われる歌が収められている。<いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ>。歌は碑に刻まれ、浜辺の一角にたたずんでいたが、時移り、4年前のあの日、大津波にさらわれた
 ならばと、有志の手で新しい歌碑が建てられたのは1年半前。歌も代わった。<頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず>。無論、歌碑を彩るべき白砂青松は今はない。土砂を運ぶ全長3キロの巨大ベルトコンベアが無機質な光景を醸すばかりだ
 嘆息していると、地元の老語り部が寄ってきた。「一握の砂を示した友を生涯忘れなかった啄木同様、私たちも逝った仲間を忘れない。でも、それは明日の故郷のため。あと何年後か、今の風景とも、かつての風景とも違う新しいまちができるんです。『忘れず』とは希望の異名なんです」。胸にじんと響き、心に誓った。私もまた忘れまい、と。