聖教新聞のコラムである「名字の言」に、私の心に残る内容がありました。
写真を趣味として、高校生のころからカメラを手にしていました。もしかしたら新聞社の写真部員になれたらと思っていた私です。
相当数の写真を撮影し、その内容を友と批評していた事も懐かしいものです。そして、フレーミングの最大公約数と最小公倍数を自分の理屈にして報道向けの記録写真を撮りつづけていました。
ある意味写真はウソを突きます。それも承知のうえで見る方の心に残る「見る目」を養いたいと思います。
以下がコラムです。
名字の言
「カメラは足し算、写真は引き算」といわれる。写真をうまく撮るための基本を示す言葉だ
▼「カメラは足し算」とは、レンズやストロボ等の付属品も含めたカメラの機能。足せば足すほど、さまざまな状況の変化に対応でき、思い通りの撮影が可能になる。「写真は引き算」とは、シャッターを切る際、不要なものがフレームに入らないようにすること。余計なものを引いたぶん、残った“本当に写したいもの”が際立つ
▼足し算とは「事前の準備」にあたり、引き算とは「実践の現場」にあたるといえるだろう。事に臨んでは、十分に準備を重ね、実際の行動では、その準備の中から、必要なものを適切に選択することが大切になる。文章も同じ要領だ。「足し算」が不足すれば中身が薄くなり、「引き算」ができないと、情報が多すぎて読者に分かりにくい
▼対話においても、この「足し算」と「引き算」を心掛けたい。前もって相手の状況を知り、話すべき内容を学び、整理する。対話の現場では、相手の話をじっくりと聴いた上で、臨機応変に、話が長くなったり、ピントがずれないよう心を配る。こうした真摯な姿勢があれば、話に明快さと説得力が出てくる
▼“対話の名手”を目指して、挑戦を重ね、共感の語らいを広げよう。(潔)