【復興基金】手段を目的化してはならないと思う。決断の連続が必要だ。

 節電の徹底にあいまって、いつもの通り「手段の目的化」がまかり通ることになる。
 全国民の節電運動も、肝心は、電力の需要と供給のバランスを冒さないことだ。つまり、午前9時から午後5時までの節電こそ肝要であり、そのために昼電力を夜電力にシフトしようとしている。それでも夜間電力の余剰はあるのではないかと思う。
 それゆえ夜の道路外灯の消灯はできるだけしないで欲しいという意見も、15%削減目標は、昼夜コミコミの合計削減目標だから、昼より夜の削減が大事となってしまう。
 分らないでもないけれども、手段を目的化しているときには、真の目的は達することができない。平均的な削減目標は達成したけれど、何日も強制的な停電実施となってしまいかねない。
 
 さて、菅総理の権力志向も、総理のイスそのものが自己目的化しているからではなかろうか。いつものことであるが、総理としてやりたいことは全て思いつきである。
 側近すら知らない、担当大臣も知らない政策などあろうはずがない。その手法は、想像を絶する「何でもあり」であって、その行く先に解散総選挙を思考しているからではないか。今本当に恐れるべきは、解散であると国会議員は思っている。できようはずがないと思っている。だから、総理の権力はその一点で絶対なのかもしれない。
 だからこそ、現場の声を届ける努力をし続けなければならないと思う。東日本大震災への実感が、風化するにはあまりにも早すぎる。国会と被災地を繋ぐのは、塗炭の苦しみの声だけあろうと思う。
 二次補正予算も、復旧予算になると思われる。「遅い」「足らない」をまず解消するための本格的な施策が必要で。更に、公を公で賄うのではなく、私をも公が思いやる施策が必要だと思う。
 復興基金の創設を求めたい。金利情勢から、簡単ではない基金創設だと思う。それでも金利はリスクと同意義である場合もあるから、思い切った決断で創設して欲しいと思う。