【野田新政権】泥の中は《どじょう》だけではない。蓮の花も泥中より見事に咲くぞ。

 野田新内閣の顔ぶれが決まりスタートしました。
 余りに菅首相が酷かったせいでしょうか、その内閣の一員で連帯責任のあるはずな野田首相が《良さげ》に見えるのですから不思議なものです。期待感はありますが、判断には時間が必要でしょう。
 ただ挙党体制に腐心しながら実は世代交代を狙っていたとしたら《なかなかやるね》ともなりましょう。実力はともかく少し先の政界の話題になる人が多いと感じます。
 《どじょう宰相》や《小渕首相》との相似形が報道されるとなると、誰かが仕組んだことにせよ、マスコミ対策はそこそこの結果のようですね。要するにマスコミも受けるネタに困っていたということです。《どじょう》だからぬるっとして掴みどころがないかも知れません。骨がのどに刺さるときもあります。女性には好き嫌いがあるんですよ、あの《どぜう鍋》。
 第三次補正予算は大丈夫でしょうか。来年度予算の編成方針も待ったなしです。福島原発事故の収束に大事なことは完全なる情報の開示です。国民を信用しないという事は、官僚と行政の傲慢です。国民目線であれば、誠実な態様があれば、国民は真のリーダーについていきます。今の世の最大に欠乏しているのは、責任あるリーダーが居ないという事です。
 野田首相はどうなのだろうか。民主党最後の総理になるかもしれません。民主党がなくなる可能性もあります。誰もがババを引きたくないという時代だから、進んで泥を被る《どじょう》であって欲しいですね。
 大体、茨城の蓮の花は、《どじょう》どころではないね。泥中より大輪の蓮の花を咲かせる。誰もが花の見事さに感動する。千葉にも茂原あたりに蓮は咲いているけど。まあ、金魚に対するどじょうだから、野田首相の経験ではなく、輿石幹事長取り込みの手法が世間にも当ったということだろうと思います。
 
 今日も、一般質問の原稿を書きながら悩んでいます。
 それは、政治とは何かということです。県民の皆さまの安寧と幸福のために何ができるかです。目的と手段についても悩ましい限りです。政治のダイナミズムの欠如、いや未来への意思をどこで感じるかが難しい問題のようです。結果主義ではありますが、それは絶対的でなく相対的です。選挙はその典型ですね。
 今のところ9700字と大きく文字数がオーバーしています。もっと絞ってかつ展開して、言葉に意を込めて初の一般質問にチャレンジします。