今日は、かつてない経験をしました。。とは言っても決して驚くことはないのですが。
それは、午前11時から告別式、そして午後6時から通夜式に参列したことです。
これだけでは、こんなこともあるかなと思いますが、両家ともF家と同姓、私の実家のある沖宿町内、両家の距離は200m位、当然親戚です。
そのため、菩提寺が一緒で導師の住職が午前午後と同じ、何といっても地域の参列者はほとんど同じ方々で、区長さんは延べ三日間葬儀を対応。
更に会場が土浦市営斎場と同じでした。更に更に葬儀は農協が担当して同じ、さすがに司会の方は違いましたが、喪主とその家族も入れ替わったような風景で、本当に驚きました。
喪主のご挨拶は心を打ちました。突然に父を亡くした驚きと、容態の変化に熱い心尽くしがありました。お酒がお好きなお父さんに「ビールをわ飲むか」「そうだな、飲みたいな」、ご長男は、お茶をビールに見立ててお父さんの口に運んだそうです。「ビール、うまいかい」「うまいなあ」「酔っ払ったろう」「酔ってきた」と顔を赤らめるお父さん。
お母さんは、毎日毎日病院に通って付き添い。亡くなるなど全く思いもせずに、「早く帰ろう」といつもいつも励まして痛そうです。
ご長男は、これからのお母さんのことを心配します。ご夫婦で本当に長くお豆腐やさんを営んでいました。朝早く起きて二人で豆腐を仕込んでいました。それ以外のことは何もないといってもいいのです。これから美味しいお豆腐を作って活けるのか。生きがいとは何かを心配していました。
私も、子供のころ豆腐を買いに行きました。鍋を持って買いに行きました。プールのような小さな水槽に白い豆腐が浮いていてその中から選びました。今もそうです。今は、さすがに鍋は持っていきませんが、ビニール袋を水槽に入れて口を開けてから豆腐をヒニール袋に追い込みます。そして、口を輪ゴムでキリッと閉めてくれます。
その動作が、何とも優雅に思えてなりません。手作りだからできることです。そこに味があります。
そんなお豆腐をこれからも頂けるのでしょうか。お母さんの、お元気を祈らずにはいられません。
今日は、残された遺族の優しさに心から癒やされました。何気ない事柄に幸せと、そして儚い人生の一面を見る思いです。その隣り合わせに心のひだを感じ、人生の奥行きを思うばかりです。
亡くなられたお二人のご冥福をお祈りし、ご遺族に心からのお悔やみを申し上げます。