【県民大学】最大多数の最大幸福求める功利主義、政治の判断にはもっと迷いと決断と責任が必要。

 午前中、茨城県民大学後期講座「『白熱教室』の向こう側」の初講義に参加してまいりました。
 今後、全10回の講義は、マイケル・サンデルのハーバード白熱教室講義録を参考に、筑波大学檜垣准教授(哲学・思想専攻)の講義が始まります。
 今日は、マイケル・サンデルを一躍有名にした仮説「君が路面電車の運転手、君の行く手に5人の労働者、ブレーキは効かずこのままでは5人を殺してしまう。が、その時、脇に逸れる線路に気づく、しかしそこには1人が働いている。さて、君はどうするのか」を学ぶものです。
 そして、対する設問は、「ここに5人の病人がいる。このままでは一人も助からない。そこに健康な1人が健康診断にきた。この1人から5つの臓器をとれば5人が助かる。君は、1人を殺して5人を救うか」に学ぶものです。
 この2つの仮説は、先の「功利主義」と次の「功利主義の限界」を言いますが、今日は、「結果として全体の幸福度を最大化させるものが善い」とする帰結主義的な原理をジェレミー・ベンサムの功利主義として学びました。
 この功利主義の、「最大多数の最大幸福」は、政治のもっとも判断要件にしているものです。
 最大多数を求めるための調査と審議があり、最大多数を得る施策決定の最大要因となるからです。私もまた、1人でも多くの方にと言っていますし、それが最大幸福に通じると確信して種々の結論を出しています。
 きっとそれは正しいことだと考えます。だから、サイケル・サンデルも、「正義」につい語るとして「正義」とは何かを追及しようとしています。しかし、「正義」は余りにも数が多く、すべてが正しくはありませんし、時に一つに絞ることもてきません。
 時として、「正義」と信ずることで、どこかに犠牲と損害を起こしているかもしれません。信ずる「正義」を反復検証する勇気も必要でしょう。
 分かってはいましたが、政治の世界は、功利主義的なのだなと再確認しました。そして、更に思索の深みを持って具体的な現場に立つことが必要だと考えた市民大学です。