神栖市を訪れ、懐かしい知人の皆さまや、かつて親しんだ港公園の展望台を登りました。
神栖は、もう15年も前に住んでいた所です。前職の勤務先は神栖町知手(今は神栖市、「しって」と呼びます)
そして、東日本大震災で大きな被害のあった地域です。
港公園は、震災後の4月に訪れましたが、公園内内に立ち入ることはできず、当然展望台を登ることはできませんでした。港湾を一望したいという思いはかなわないままでした。
今日、その願いが叶いました。展望台は、昨年7月1日からオープンしたそうです。港公園は、展望台から海辺の堤防までの土地が、津波の引き波で大きく地割れしたそうです。人をも飲み込むような地割れが、今も復旧途中で工事されています。
その日、その場所にしたという方にお話しを聞くと、「津波はずんずん水かさを増して迫り、引き波は港の底を覗くようであった」そうです。
加えて液状化によの地形の変形や、漂流物の散乱による道路の寸断が眼前に迫り、恐怖の時間が果てしなく続くように思えたともいわれました。
海岸線である鹿島灘を抱え、国家プロジェクトとして造成された鹿島港は、これ程の津波を想定していたでしょうか。
ましてや、近い将来の大地震発生の懸念が言われている時、地元住民の皆様には、災害再びの、逃げようのない恐怖があると推察されます。
私たちは、何を最優先させるべきか。それは、「人の命」です。この一点を追及して、総合的な防災と非難の実をあげなければなりません。
今日は、強いが風が吹いていました。外付けの展望台から臨む鹿島港の様子は、母なる海ではなく、自然の脅威を秘めた巨大な生命体のように感じます。そして、自然の中の人として、如何に折り合いをつけるべきかを考えます。