【勘違い】感覚的な言葉づかいの安易さにあきれる。意を汲み伝えるは正確な理解から。私の反省。

 先月25日、私の母校である「土浦市立上大津東小学校」の同窓会が賑々しく開催されました。
 この同窓会は、一泊が原則。
 なぜなら修学旅行よろしく深々と暮れゆく帳どころではなく、夜明け間近の未明まで語りつくすことが原則だからです。そこそこの年齢ですから翌日の辛さが分からないわけではありませんが、とにかく夜が長いことが特徴です。
 さて、初日の宴席での乾杯。私が音頭取りになりまして一言挨拶を致しました。「小春日和の温かさで・・・・・・」。これがイケませんでした。早速、間違い訂正のお便りを頂戴しました。これからは、「ハジをかかないようにね」と同級生の親心です。感謝、感謝。
 「『小春日和』---2月25日には変です」から書き起こされた便りは、「小春日和とは、晩秋から初冬にかけて移動性高気圧に覆われた時などの穏やかで暖かい天候の事です。小春とは陰暦10月のこと。太陽暦では11月頃に相当し、このころの陽気が春ににているために、こう呼ばれるようになった」との事。「だから、秋に使う言葉で、春前の暖かな日に使うものではありません」です。
 本当にありがとうございます。これから誤使用することはないでしょう。持つべきものは同級生です。本当は、落ちより意味からすればブログに書くことはイケナイコトかもしれませんが、急に掲載したくなりました。
 なぜかと言うと、「プラスアルファのうんちく」にして、ピンチをもチャンス?にできないかと思ったからです。しかし、残念ながら「小春日和」の定義はあまり発展性はありませんでした。
 いろんな人が誤用しているかなと思いましたが、例えば歌の歌詞に誤用した方がいても、誤用は誤用であり、外には出てこないということです。新解釈?は成り立ちそうもありません。その意味では、最もポピュラーな誤使用にハマったということです。これ以上書くと、もっとヘンかも。
 最後に、私が最もガッカリ来たのは、「小春日和」を調べていくうちに、私が好きだった山口百恵さんの「コスモス」にも、秋桜が陽だまりでゆれている暖かな情景を小春日和と歌っていることです。好きな歌手の歌詞から学んでいないことに落ち込む気持ちです。以下は、確認の歌詞です。
 コスモス
淡紅(うすべに)の秋桜が秋の日の 何気ない陽溜りに揺れている
此頃、涙脆くなった母が 庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす 独言みたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る
明日嫁ぐ私に苦労はしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらないと笑った
あれこれと思い出をたどったら いつの日もひとりではなかったと
今更乍ら我侭な私に 唇かんでいます
明日への荷造りに手を借りて しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし元気でと 何度も何度もくりかえす母
ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせてください
 次の同窓会に、同級生のどなたかが歌ってくれたら癒されると思います。
 たまには、こんなブログもいかがでしょうか。