【追悼式典】3.11東日本大震災発災からちょうど一年。追悼、復興、再生、希望、勇気、絆、生きる、繋ぐ、忘れない。

 昨年の東日本大震災から一年。今日は、茨城県・県市長会・県町村会主催の「東日本大震災一周年追悼・復興記念式典」が、県庁内9階講堂で開催されました。
 県庁正面の国旗と県旗は、今日は半旗として掲揚されていました。
 式典は、国の追悼式の中継により、震災発災時刻である午後2時46分に一分間の黙とうを捧げ、お亡くなりになられた皆様への哀悼と今もなお仮設住宅等で避難生活を余儀なくされている皆様へのお見舞いの誠を捧げました。
 茨城県の式次第としては、橋本茨城県知事の式辞、県議会議長と県町村会長の追悼の辞、そして、親族を亡くされたご遺族のお言葉がありました。
 次いで、県知事から始まり、私も含む県議会議員や各市町村長や県内各界の来賓の皆さまが献花をさせて頂きました。
 その後、大きな被害を蒙りながらも復旧復興に努力されるひたちなか海浜鉄道の吉田社長ととしまや月浜の湯の渡辺女将が、全国からの励ましを受けて復興に努力しいる様の報告とこれからの決意が述べられました。
 最後に、笠間市立友部小学校の合唱隊により、「千の風に乗って」「ふるさと」「上を向いて歩こう」の素晴らしい心に沁みる合唱がありました。
 私も、一年前の今日の事をまざまざと思い出されます。それは、総務企画常任委員会の休憩直後の事であり、公明県議会控室に戻ったその時でした。最初の揺れでかつてない衝撃を受けながらも、議事堂外への避難を決めたのは少し後になりました。携帯電話は繋がりませんでした。何が起こっているか分からない中で、パソコンを持ち出して外に出て、上空を見上げながら余震に恐怖を感じていました。
 この世の終わりを予感させる出来事に、まずは土浦市に戻り、市庁舎の開設されているだろう災害対策本部を目指しました。それは、いつ到着するか分からない帰路でした。何もかもが真っ暗闇でした。こんなにも夜が暗いとは全く考えられなかったことが、一層の恐ろしさを身に沁みさせたことを忘れられません。
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