公明党の機関誌「公明新聞」は、本日、創刊50周年をむかえました。
昭和37年(1962年)4月2日のこの日に、公明党の前身である公明清司連盟の機関誌として創刊されたものです。まさに「大衆とともに」の立党精神を内外に宣揚し知らしめ、議員や党員には、誠実に学ぶことを教えてくれる機関誌です。
その精神は、今も変わりません。私も、まだ議員として1年半の時間ですが、公明新聞から学び、そして議会活動の糧としてきました。
これは、今後とも変わらないでしょう。ここに基本があり、政治の今があるからで。加えて、日本中の同志議員がいるからです。
山口代表は、この【日刊・公明新聞】を支える編集部はもちろんのこと、何といっても配達される方の奮闘を忘れてはならないと指摘されています。全くその通りです。創刊無50周年は、いまも続く配達の賜物です。これなくして日刊は成り立ちません。本当にありがたいことです。
山口代表は、次のように述べています。
皆さまのご支援に感謝 立党精神に立脚し庶民と政治結ぶ機関紙に
公明党の機関紙・公明新聞はきょう、創刊50周年を迎えました。この間、公明新聞を支え育ててくださった愛読者の皆さま、配達員の皆さま、そして新聞製作のためにお力添えをいただいた関係者の皆さまに心からの御礼を申し上げます。
また、創刊50周年を購読拡大で勝ち飾ろうと、懸命に取り組んでくださった党員、支持者の方々に、あらためて心から感謝を申し上げます。
公明新聞は1962(昭和37)年4月2日、公明政治連盟(公政連、公明党の前身)の機関紙として創刊されました。また、同年9月13日には、公政連の第1回全国大会で「大衆とともに」との立党精神が示されています。以来、五十星霜。この立党精神に立脚した党機関紙として、党の前進を支えてきました。
例えば、党と連動したキャンペーン報道により、福祉拡充や公害追放などをリード。また、公明新聞によって、党の方針や政策を議員、党員、支持者がリアルタイムで共有することができ、日本の政治史に例を見ないネットワーク政党の構築にも貢献してきました。公明新聞こそが党のネットワークの軸であると言って過言ではありません。
昨年の東日本大震災では、被災地の生の声を伝えるなど被災者に寄り添う報道姿勢を貫き、公明党の奮闘する姿や復旧・復興を後押しする記事を発信し続けてきました。公明新聞が被災地を勇気づけ大きな支えとなってきたことは紛れもない事実です。
公明新聞には二つの大きな役割があります。公明党の日々の活動や政策、主張を正確に、分かりやすく伝える機関紙としての役割と、庶民・国民の立場に立って、日本の進むべき方向性を提示していく「オピニオン・リーダー」としての役割です。公明新聞の価値は限りなく大きいと言えます。
IT時代の中で、断片的な情報に流されやすい社会であるからこそ、逆に論理的な考え方を育てる新聞の重要性が再認識されており、公明新聞は国民と政治を結ぶ“国民の機関紙”としての役割も果たしてまいりたい。
これからも「分かりやすい新聞」「役に立つ新聞」、そして国民のために「戦う新聞」として、紙面の充実、向上に努めてまいります。さらなるご支援、ご愛読を心からお願い申し上げます。
以上が、山口代表のメッセージです。
なお、3月31日の毎日新聞、岩見隆夫氏のコラム「近聞遠見」にね公明新聞創刊50周年からひも解く各政党の新聞事情が「『正当の新聞』いまと昔」として掲載されていました。
結論は、日刊紙のすごさと、機関誌の歴史は政党の歴史と言うものです。面白く読ませて頂きましたので、さくっと紹介します。