今日も、ミニ語る会に参加しながら、防災・放射性セシウム・東海第2・年金・格差について多くの方からお話を聞かせて頂いている。それは、多くの皆さんが実感として不安に思われていることばかりで、お聞きするたびに政治の責任を感ぜずにはいられない。
私は、防災の枕詞に、「いつ地震が発生するのか」を問うことを使っている。つまり、「昨年の3.11に囚われるな」と言うこと、いつ来るかも知れない震災は、3.11を最大被害の想定にすることがあってはならないと訴えることです。
昨年の3.11は、午後2時46分に発生したことが、ある意味被害を押しとどめた最大要因と思えるからです。
あの震災が、皆が寝静まった深夜に、まだ誰も起きない早朝に、夕飯の支度に忙しい夕刻に、雨の日、雪の日、猛暑に、台風の日にと考えれば、私たちは、既に3.11を想定範囲として囚われてはいないかと思うからです。
震災対応は、危険に対する想像力への挑戦です。あらゆる危機への可能性の追及のようと言えましょう。「その時」私建ちは、何処に、誰と、何を、どのように迎えるのでしょうか。ここが最大の問題です。ましてや、愛する家族は、どうなるのでしょうか。常に一緒にいるわけにはいきません。
そして、そう考えるときに、行政を頼りにする「公助」は、リアルタイムに機能しないことがハッキリ分かります。「自助」と「共助(近助)」しか私たちにはないということです。自己責任の果てに、助け合う一歩を踏み出すしかありません。
私は、防災における「全くさまざまな個人的事情」をお聞きしながら、いざとなれば「駆けつける」気持ちをお伝えしたい思います。それは現実的でないこともありますが、人が一人でない事を確認することが、最大の防災対策であると思うからです。