平成24年4月16日、午前中開催された茨城県議会情報委員会の終了後、私は高崎県議と羽田空港で合流して北海道函館空港に。
そして、翌17日、視察の目的である「奥尻島」を目指しました。
奥尻島は、19年前の平成5年7月12日午後10時17分のに
発災した「北海道南西沖地震」により、壊滅的な甚大な被害を蒙った島です。
同地震は、マグニチュード7.8、震度は6の報道(奥尻島に震度計がなく推定)、死者172名、行方不明者26名、重軽傷者143名、被害総額は約664億円の大惨事です。
奥尻町の予算規模が約50億円との事ですから、震災復旧・復興の大変さが分かります。
「北海道南西沖地震」は、奥尻島が震源に近接していることから、直下型地震であり、その衝撃は「全く立ってられないだけでなく、這うこともできなかった」と話されました。
また、津波は、地震後2~3分で第1波が襲来し、北海道本土から跳ね返ったものを含めれば8波と言われています。この最大到達高29mの津波を見た方は、「それはそれは黒い巨大な壁」と言い、夜中の事で津波を見た人は少ないとも教えて下さいました。
次いで、奥尻の被害は、火災でした。夜10時の地震ですから、台所からの火災もあるものの、港の船のガソリンに引火したことが類焼を大きくし、またプロパンガスボンベの爆発が危険な状態を作ったと話されました。
奥尻空港を到着した私たちは、今回奥尻議会事務局小山事務局長のご案内を得て視察させて頂きました。
まず、青苗漁港に設置された巨大な津波対策の人工地盤「望海橋」を視察しました。それは、漁港に隣接し、巨大な柱が林立した中空の空間と避難スペースであり、一階部分の空間は、津波を通り抜けさせるためのものです。
この地域は、「漁業集落環境整備事業」が水産庁の補助事業として認められたことから移転、盛土、道路移設、生活排水処理施等が整備されました。
ともかく、余りに巨大な防災設備には驚きを隠せません。しかし、その後、これだけではないことが分かるのです。
次いで、向かったのは、津波からの避難するため背後の山に登る階段等の誘導施設です。
背後の小高い山を登る階段等は当時なかったことが悔やまれるそうです。そこで、奥尻町は、40を超える階段を作り、内一か所は高齢者向けにスロープで且つドーム型トンネル状の避難路を作りました。そして、全てに避難路の大きな表示をすることで、至近の子なん階段を見つけることができるようにしています。
まだまだ視察は続きますが、まず第一報です。実は、パソコンを持参して奥尻島でブログ発信しようとしたのですが、何と奥尻島では「イーモバイル」は不可でした。そこで、17日は発信できずです。