【奥尻島②】いつ来るやも知れない地震。災害を語り継ぐ努力を絶対に忘れてはならない。

 「北海道南西沖地震」以後の奥尻待ちの、防災対策は、①防災行政無線の個別受信機の全戸設置 ②町内会各地の避難路の整備 ③避難所の非常用電源や無線機の整備 ④避難広場に照明灯の設置 ⑤災害用保安帽子の配布 ⑥防災ハンドブックの作成等が実行されています。
 そして、何よりも私たちが引き続き視察した施設等は、目を見張るものがあります。
 それは、①巨大堅牢、②高床構造で津波を避けることに尽きるようです。
しかし、11m超の防潮堤の如何に巨大なことかを思うと、私たちが津波から、地震から免れる術には限りあることを思い知らされます。防災から減災へのパラダイムシフトは必須に思えてなりません。大自然の勝つのではなく、大自然を享受しつつ、私たちの命を守り抜くしかありません。
 11mの防潮堤は、真下からみると遥かに高くそびえ、20m超の津波を想像した時に絶望すら感じます。
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 津波対策として1階部分をピロティ(空間部)構造とした青苗小学校にも視察しました。
 襲ってきた津波は、1回部分を通り抜けることが期待されます。教室は、2、3階部分にあり、避難場所としては海抜20m超を確保できます。更に、学校の裏手には、小高い山があり、これを1分程度で登る訓練を毎年2回程度実施するそうです。山頂から中腹までのロープが設置され、このロープを手繰り寄せて登攀します。高崎県議が挑戦しましたが、1分程度で登攀可能であることから、津波の程度で使用することになります。
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 津波により完全流出した青苗地区は、緑地公園に生まれ変わりました。奥尻島津波館は、大災害の記録を残し語り継ぐ記念館であるとともに、鎮魂の施設でもありました。記念館の中のステンドグラスは、亡くなられて方と行方不明の方の人数の数でしたし、慰霊碑「時空翔」は、7月12日の夕日の方向に向かって中央のくぼみが輝くそうです。
 
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 奥尻町の復興テーマは、「蘇る夢の島」です。奥尻島には、「島時間」の物語があると言います。海と空と太陽の恵みは、夏の「雲丹」「鮑」「海鞘(ホヤ)」をはじめ、「烏賊」も「ホッケ」も群を抜いた味覚の宝庫です。
 また、「なべつる岩」は、奥尻島を代表する奇岩であり、有数な観光スポットです。この島の人情に触れることは、自分の本当の時間を取り戻すことになるかもしれません。
 それにしても、地震と津波と火災の恐怖から、いかに逃れるのかは、果てしなく続く人間の挑戦と人間の限界の証明のように感じます。