【常陽懇話会】「筑波」を知って「つくば」が分かる。廃仏毀釈の歴史を理解すると明治の幕開けが分かる。

 昨日(6月25日)の常陽懇話会は、同会員でもあり一般財団法人総合科学研究機構理事長西谷隆義氏の「霊峰筑波山と徳一大師-知足院中禅寺と筑波山神社-」との講演をお聞きしました。
 西谷氏は、県議会の大先輩でもあり、学校法人筑波研究学園理事長や学校法人霞ヶ浦高等学校理事長と、地域貢献と人材育成に情熱をもって取り組んでおられる方であり、氏の宗教社会学の観点からの「筑波山と徳一」を興味深く拝聴しました。
 更に、私の常陽銀行勤務の最後が筑波山麓の「筑波支店」であり、当然のことながら「筑波山神社」も「知足院中禅寺である大御堂」、加えて現在の語り部である田中宮司や鈴木妙春住職も旧知てあり、懐かしくもさもありなんと感銘しました。
 さて、講演は、執筆の動機としてご自身の「古稀通過事業」と位置付けて漢字の「筑波」とひらがなの「つくぱ」の意味を考察することから始まったと述べました。そして、北限南限である「筑波」が「古代から現代」までの自然と歴史と伝統の地であり、「つくば」は未来への展望であるとし、「筑波」を知ってこそ「つくば」が理解でき発展の発条になると指摘しました。
 次に、筑波山神社は「神」であるが、神社入り口には「仁王門」があり「仏」の名残を残しており、歴史的には「古事記」の連歌や、「天狗党の乱」「加波山事件」などの舞台であったことなど、現在でも広く知られていない事々があるとしました。
 更に、仏教の誕生と日本伝来について触れ、日本人の宗教観は無信仰ではなく、「多信仰」ではないかと指摘しました。そして神道は自然への怖れにより発展し、仏教は古墳による大がかりな埋葬を質素化することで端緒になったとしました。
 続いて、西谷氏の分析は、日本伝来後の仏教の変化を、①知る仏教 ②学ぶ仏教 ③祈る仏教 ④信ずる仏教 ⑤政治勢力化する仏教 ⑥檀家制度から宗教法人となる仏教と、その発展の経過を示し、自然災害の猛威から救いを求めた結果仏教が栄えたとしました。
 また、徳一大師は、仏教東伝の使命を担って東大寺で受戒し、常陸の国と会津そして磐城で活躍したと述べました。徳一は、最澄や空海に伍する僧であり、今後の再評価が必要であるとはなされました。
 そして、筑波山は、江戸の鬼門であったがゆえに、明治政府の廃仏毀釈の中で廃寺され、加えて明治政府と水戸藩の関係が水戸家や筑波山の大きな変化に影響している歴史を語られました。
 以上のような西谷氏の講演は、宗教社会学的に精緻に仏教伝来と多くの宗派の特色を見つめながら、筑波山の「仏」と「神」の歴史と整合のあり方を述べられたと感じました。
 冒頭のように、筑波山に縁した私は、また筑波山を見て育った私や県南の人々は、自然と信仰の山を再発見しても良いと考えます。そして、山岳には必ず山岳信仰があり、修業があります。それらも、大きな文化の側面から捉えなおしてもいいのではないでしょうか。
 本当に興味深い講演を聞かせて頂きました。
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