7月10日付けの読売新聞の「語る」のインタビュー記事は興味深く読みました。
記事は、経営コンサルタントである大前研一氏の記事で、かつて氏が1992年に「平成維新の会」立ち上げたことから、橋下大阪市長との「維新」の縁を語っています。
私が、興味深く読ませて頂いたのは、一つは、橋下市長の原発対応について 二つは、維新塾から国政選挙で当選するであろう「橋下ベイビーズ」についてです。
橋下市長は、大飯原発に対する言動にブレがあったとされます。
ここについて、大前氏は、電力不足の「ブラックアウトのトリガー」を引くことはまずいと言う判断をしたと分析します。つまり、県発に対する信認の有無を明示せずに、期間限定を安全と言わないことと、安全でないなら25%の節電要請すれば良いはずをしないとの欺瞞性への指摘です。まさに、橋下市長の原発へのスタンスが見えないということに他なりません。
ついで、維新塾から促成栽培で当選する議員は必要かと言うことです。「チルドレン」ではなく「ベイビーズ」。これは国政進出への警鐘とも言えましょう。
大前氏は、橋下市長を高く評価しています。そのパイタリティと才能を高く評価しています。加えて、国民が大統領的な橋下氏を求めているとも分析しています。例え「ハシズム」と呼ばれようとも、世の雰囲気はそれを求めていると。
ともあれ、「小泉チルドレン」「小沢チルドレン」と、国会の人材不足は明らかだと思います。だから定数減も当然のことになってしまうのです。民主主義は「数」であるけれども、多様な意見をくみ上げ、将来の展望に富む見識と哲学がなければ「数」は単なる「手をあげる数のための数」に他なりません。
「政(まつりごと)をなすは人にあり」が、私たちの考え方です。ここに公明党の進むべき方向性があります。