【駅頭挨拶】「うざい」を少しばかり分析する。挨拶は人間関係の基本、元気にさわやかに「おはようございます」を続けます。

 毎週水曜日の土浦駅西口駅頭のご挨拶は、特殊な日を除いて一年を経過しました。
 手前みそながら毎週私が駅前で挨拶することを当然のように思って下さる方もいらっしゃいます。私自身も毎週それなりに同じ生活パターンが故にお会いする方々の季節の写す服装などを感じるようになりました。
 その中、久しぶりに驚きがありました。それは、私の前を通り過ぎようとしたそれなりの年齢のご婦人に「毎週、なんで立っているのだ」と聞かれ、私が「週に一度浅野ご挨拶をさせて頂いています」と応えると、彼女は「うざってい」と言い放って立ち去りました。
 少なからずショツクですが、毎週いることを理解しした上ですので、それなりの結果と受け止めさせて頂きました。
 それにしても、「うざい」とは何なのでしょうか。私が子どものころは聞かない単語です。
 日本語存後辞書によると「うざい」は、「うざったいの略語。『鬱陶しい』『わずらわしい』『うるさい』『面倒臭い』といった意味があるそうです。うざいは、1980年代のツパリブームから関東圏を中心に使われるようになり、1990年代は不良以外にも使われ、全国的に普及しました。うざいの言葉で学生の自殺や殺傷資源が起こるなど荒い言葉とありました。
 更に、語源由来辞典は、ほぼ同様な意味ながら、語源は、江戸時代に多く使われ打「うざうざ」という擬態語を形容詞化したもので、「うざうざ」は「うじゃうじゃ」「うじょうじょ」など似た種類のものが沢山集まった様を言い、転じてつまらないことをくどぐと言うみとを意味するとあります。
 いずれにしても、あまり上品な言葉ではありません。どちらかと言えば刺激的挑発的で好戦的な言い方はトラブルのもとともなるのではないでしょうか。
 「おはようございます」「いってらっしゃいませ」をできるだけ元気にさわやかに発する私ですが、人それぞれの感得は分からないものです。
 きっと私の気持ちが足りなかったのか、議員の下心みたいな先入観なのか、たまたま気分が優れなかったのか、私自身も何らかの反省が必要でしょう。 
 ただ挨拶に挨拶で応えて下さる方は、決して多くはありません。人との関わりわ持ちたくないという無関心を通り越した自身を侵されることを強く拒否する気持ちは、やはり麗しい人間関係の姿とは言えないと思われます。
 「いまだ懲りず候う」とは、継続の極意です。来週も土浦駅西口でお会いしましょう。
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